8月19日
◆完成目前!エル・ミラグロハウス
インタグ地方の夏は、雨がまったく降らず、かといって朝は肌を刺すような寒さです。
日本では猛暑が続いているようですが、「夏とは暑いものだ」と思っている人がいたとしたら、少し不思議に感じるかもしれませんね。
だからこそ、インタグの夏は、物を建てるには最高の時期で、私たちもほとんどエル・ミラグロで作業しっぱなしです。
今やエル・ミラグロハウスには、壁や部屋の間仕切りもでき、ソーラーパネルが屋根に取り付けられるのを待つばかり。まだ家は完成してはいないのですが、気が早い私たちはコタカチエコロジーセンターのボランティアたちと新築を祝うことにしました。
石造りの家を自分たちの手でゼロからつくりあげた・・・、このストーリーすべてが、私たちにとって奇跡のような素晴らしいできごとです。私がエクアドルを去る前に、1週間でも2週間でもこの中で睡眠を取れることを、私は心から楽しみにしています。
オフィス機能としては、9月か10月にプカラ村から引かれる電話線を待つ必要があります。そうすれば、インターネット環境が整い、大自然の中で世界中と通信できるという新たな”快楽”を享受できることでしょう!
◆月下の瞑想
7月31日、私は窓越しに射しこんできた蒼い月明かりに起こされました。時計は1時を回っていましたが、私は外に出て、星空の下に座り、エル・ミラグロでの生活について思いをめぐらしました。
やわらかい月明かりを眺めながら、私たちがエクアドルで過去数年にわたって展開してきたプロジェクトに深い満足感を覚え、同時に、今、目の前に無限に広がる可能性について大きな期待を抱きました。
エル・ミラグロが「進化し、創造しつづける場所」として、あたらしい世界のロールモデルとなり、今後も力強くありつづけてほしいと願うばかりです。
あたらしい世界、といいましたが、今みなさんが暮らす世界は、経済至上主義のファストな世界、限られた選択肢の中で貧富の格差がますます増大する社会です。
これに替わる進化しつづける世界のビジョンとは、よい技術と昔ながらの自然の叡知を統合させ、私たちが本当の意味でもう一度、大地の手入れをしていくことでしょう。
私たちがここで成し遂げた「スローエネルギーへの転換」は、誰にだって簡単に実践できることです!「ちょっと」戻るだけでいいのです。
2003年のワールド・ウオッチ研究所のレポートを読みました。地球上で私たちが直面している多くの緊急課題に対して、エル・ミラグロには前向きな選択肢と解決の可能性がつまっていることを、改めて感じずにはいられませんでした。
地球が悪くなっているという研究結果にため息をつき、行動する気力をなくすのではなく、今こそ希望の種を植え、どんどん積極的にチャレンジしていくことが必要なのではないでしょうか。
◆地域コミュニティへのサポートとは?
エル・ミラグロハウスの新築を祝ってから一週間たったある晩、(ワダ)アヤ、エル・ミラグロ管理人のルイス、私とで一晩かけて、エル・ミラグロの今後についての役割とビジョンを共有するミーティングをもちました。
アヤから以下のような疑問が投げかけられました。
「エル・ミラグロは本当にコミュニティの役に立つのか?」
エル・ミラグロプロジェクトの目的をみんな理解していると信じて疑っていなかった私にとって、この質問は正直めんくらいました。私は、これまで人生そのものを、森を守ろうとするコミュニティの人たちをサポートすることに捧げてきたのです。
すぐさま私は反論しようと身構えましたが、ルイスが彼のエル・ミラグロにおける役割、家族をもつ父親としての役割について話しだしたので、彼の言葉に耳を傾けることにしました。
ルイスと出会ってから5年が経ちますが、管理人としてこのプロジェクトに携わってから、彼のものの考え方が確実に変わったことを悟りました。
変わったのはルイスだけではありません。私も変わりました。
今や母親として、私のいちばんの責務は、子どものために安全で健康な家庭環境を確保することです。そして子育てをディープエコロジー哲学と調和させようと模索しているところです。
ここ5年、私は情熱のすべてをエル・ミラグロに注ぎ込んできました。なぜなら、この地こそが地球にも子どもにもやさしい場所だと確信したからです。今、この瞬間でさえ、私はこのプロジェクトに全力を注いでいます。(そして期限付きでエクアドルを一時離れる試練を自分に課したところです)
エル・ミラグロがコミュニティに還元することのできるもの・・・、それは決して満たされることはないでしょう。ひょっとしたら10年後、20年後にプロジェクトが自立して、地元の人たちにオルタナティブな経済モデルの例を多角的に見せることができれば、何か還元できたといえるのかもしれません。
これまでエル・ミラグロがもたらす刺激や学びは、私とボランティアたち、そして地元の人々との交流におけるものがほとんどでした。地元住民たちは、ボランティアのナンシーからハーブ治療の手ほどきを受けたり、ボランティアのキノから東洋の鍼療法を学んだりしています。
また、外国からやってきたお金持ちたちを観察しながら、自然の中でシンプルに生活することの喜びを感じ、インタグでの生活技術を学んでいます。地元の人たちはエコツーリズムやコーヒーや手作りの民芸品をツーリストたちに販売することによって現金収入を得ています。これらすべての状況は、私たちがエル・ミラグロにかけてきた情熱とつながっているのです。
◆エル・ミラグロの究極の役割
今度は、活動家としての私にとっての大きな疑問を書きます。
「地域コミュニティをサポートするってどういうこと?」
オカネを住民たちに渡して(寄付して)、地域主導のマイクロビジネスをうみだすことでしょうか?
あるいは古着などの物品を人々にあげることでしょうか?
人間が傷を負った母なる大地と調和して生きるのに、誰かの助けを必要とするものでしょうか?(少なくとも先進国に住む私たちは、持続可能な暮らし方を学ぶ手助けが必要でしょう!)
私の考えでは、インタグのような地域コミュニティは、彼らがすさまじい貧困の実態について話をしたとしても、持続可能なライフスタイルからそんなにかけ離れてはいません。
ルイスも話していましたが、彼らには自由や自尊心があり、人々のつながりを強固にしているコミュニティの存在があります。私見ですが、そういった人としての感性、コミュニティのつながりは、物を所有することよりもずっと優るのではないかと思うのです。
私が活動家として、エクアドルでもっとも情熱を注いできたことは、地球を破壊することなく、シンプルなやり方で生活の質をあげることでした。ほとんどは実験モデルにすぎませんが。
しかし、実験モデルであっても、こういった取り組みが私たち自身の意識や思い、未来へのビジョンを変えていくのだと思います。
「地球に負荷をかけずに生活の質をあげるためのシンプルな生活技術を習得する」・・・、これこそがエル・ミラグロプロジェクトが地域コミュニティに果たしてきた究極の役割であり、今後もその役目を担い続けることを願っています。
この重要な話題に関してここで語るのを終わりにしたくないのですが、ヤニが目を覚ましたようなので、とりあえず、今日はここで止めておきます!
◆牛をめぐる事件
先週、私たちに悲しいできごとが起こりました。ルイスの飼っていた牛の一頭がお腹がふくらんで死んでしまったのです。その牛は3日前に出産を終えたばかりだったのですが、その後の母体に何かトラブルが起きたようです。
最近出産した別の牝牛が、残された2匹の子牛の母として彼らを受け入れているように見えることで、私たちは安堵しました。
その場にいた私たち(キノ、リエ、シュウジ、私と子どもたち)は、生と死がもたらすそれぞれの役割について学んだ気がしました。
さきほどの牛は自然にしかも突然に死んだので、大量の肉とその使い道がありました。ルイスは牛肉のほとんどをコミュニティ内にあげたり売ったりしました。
ベジタリアンの私が牛肉を調理する姿を、昔の仲間たちは想像できるでしょうか?(私にとっても生まれて初めての体験でした)スープに入った牛肉は、その日のランチとしてみんなでいただきました。
パチャはこの牛の一部始終に釘付けでした。病気の牛をなんとか治そうとする私たち、牛が息を引き取る様子、そのあとその牛が解体され、すべて何かに使われるまで。
最初、私は牛の解体作業をパチャの視界から遠ざけようとしました。けれども、パチャの周りのメンバーがショックを受けたり脅えた様子ではなかったので、パチャもトラウマにはならないと悟りました。
自然界の法則で動物が命を落とし、そのお肉をいただいたとはいっても、私にはやはり、牛乳を飲むため、肉を食べるために牛を育てることが本当に必要かということに関しては、大きな疑問をもっています。
先進国に暮らす大多数の私たちは、牧場のためにどのような犠牲が払われているかを知るプロセスが完全に切り離されてしまっています。「北」の過剰な肉食が母なる地球の苦しみを増大させているのです。
私も牛乳を飲んだりチーズを食べたりすることは好きですが、そのことに付随する多大なる犠牲(森林破壊)についても受け入れなくてはなりません。私たちの食生活をこそ見直し、穀物菜食主義に戻る時機にきていると思います。
エル・ミラグロ8をお届けしました。
私がエクアドルを発つ前にもう一つレポートをお届けできればと思っています。みなさんの毎日が元気で幸せでありますように。
いのちのために
アンニャ、パチャ、ヤニ
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