日本の最西端にあり、暗闇とキャンドルのリレーをアジア大陸へと継ぐのは、西表島。
マングローヴの聳える沖縄県最長の浦内川のまわりで、豊かな文化が息づく緑の楽園だ。夏至である6月21日にあたる、旧暦5月4日には島人総出で、中国から伝わったといわれる海の神様に感謝する祭り、「海神祭」を行なう。
島の人々は10年以上前から、「エコツーリズム」を模索してきた。マスツーリズムやリゾート産業が「ここにないもの」を作るために壊し、犠牲にしてきた、「いまここにあるもの」。自然とのつながりを生きる島人自身が、それを守り息を吹き込むかたちで紹介し、旅人を受け入れようとする、もう一つの観光のあり方だ。
そのツアーの中では、唄やお話として、島に住む神々についてのことが繰り返し出てくる。そしてその神様たちは、やけに良く遊ぶ。神々が夜な夜な滝に集って舞い踊る話や、神様の遊び場だから入ってはいけない浜ということ。さらわれてしまった女神様の話。人間ひとりが生きる一生分の時間枠を超えて、島の時間、神々の時間、砂浜の砂ひと粒の時間に思いを馳せるのに、充分な景色と音がここにはある。そういうもののひとつひとつに触れたとき、「美しいなあ」と、心から感じる。
おばあの手のシワや、猟と猪鍋や、三線の音、家々の石垣、その間から伸びた雑草、満天の星、子供の笑い声、苔むした社、海で晒す織物。その一つ一つが、まるで一つずつ炎を持ってるかのように、美しく灯り、常に揺らいでいる。「観光」とは、「光りを観る」と書く。祈るような気持ちでしか、それらはみつけられないし、触れることもできないだろう。
キャンドルナイトの話をしたら哲学者の鶴見俊輔さんは、それは「ナスカの地上絵」じゃないか、とおっしゃった。つまりそれは、地上よりも高い所から想像する、1000年を見渡すような目を持ってしか作れない、地球大のアートだということ。
キャンドルナイトは、その態度を暮らしの中に取り戻すための、新しい祭りだ。
そして、宇宙に浮かぶ第3の目を思うとき、そこから見える西表島は、日本と世界にとっての宝の島であり、大事な「手がかり」であるんじゃないかと私には思える。
日本で一番遅く、夜がまわってくる西表に、ロウソクの火を灯しに、あるいは、炎をみつけにいきませんか。これは、100000年の、美意識の旅です。
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