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「ピラチカ・スロープログラム(2003年11月16日〜19日)」に寄せられた感想
 2003年11月、生態系と人々が豊かで、スローな暮らしが息づく西表との「つながり」を創るために、下見も兼ねてスロープログラムを実施しました。ピラチカ族が誕生する切っ掛けなったスローな旅の感想です。

 

西表島、祖納のシチ祭りに参加して 藤井 芳広

 11月20〜25日まで、祭りの準備をしながら、シチに参加しました。

 まき割りをしたり、山に「シマダイコン」を取りに行ったりしました。シマダイコンとは、正式名を「ひかりへご」俗名を「ばらぴー」といい、シダ植物でやまいものようなねばりがあり、恐竜時代の絵などに出てくる木のような植物のモデルになったと言われているものです。大きいのだと10メートルくらいあり見た目は木なのですが、年輪はなく、堅い皮の中に柔らかくて白いダイコンのようなものがありそれを煮ると冬瓜のような感じになります。島でも祝いごとのある時だけ食べます。自然と生えてくるのですが、成長は遅く、数が減ってはいるようです。

 そしてその皮をナタでけずりました。それがおもしろくて、手に力が入らなくなるまでやっていました。

連日祭の向けて
芸能の練習が行われる

 シチの準備のために集まって練習している姿に、年寄り、中年、若者、子供の結びつきを感じ、こういうものを残していくことは大事だなと思いました。ある人が、「こういう行事は集落の中での子供への教育的な要素もある。伝統を伝える。すべての子供が顔見知りであるという良さがある。」と言っていて、なるほどなと思いました。

節(シチ)祭の神様と獅子舞

 祖納で一番感じたのは、目に見えないものの存在です。

 そこら中に霊や魂や八百万の神のようなものがうようよしていました。それは磁場として現れたり、魔よけのような形でそこら中に存在していたり、気候や風や波だったり、様々なエネルギーとして存在していて、怖くもありました。

 そういうものとうまく付き合っていくためにシチというものが生まれたんじゃないかと思います。自然の恵みに感謝し、祝い、儀式をすることで、神や祖先も喜び、それによって、来年の豊作や健康や子宝を祈願したんだと思います。

 今回祭りの準備に参加して、若者も年寄りもみんなが一生懸命に祭りを作ろう、成功させようとしている姿を見て、島の人の、島や、伝統や、文化や、祭りへの誇りを感じました。

 帰りは船の一番後ろに乗って、島と語り合いました。 島が全然見えなくならなくて、改めて西表島の大きさを感じました。 また行きたいです。

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後藤 彰 (GOTOH Akila)

 西表は、とにかく濃かった。僕に入ってくる空気、眼に飛び込んでくる色彩、肌で感じる暖かい風と鋭い太陽、聞こえてくる様々な音、カエル、フクロウ、木々のざわめき、滝の声。そして、出会ったかなり個性的で強烈な人々、強い方言、次の日に残らない泡盛、世果報(ユガフ)を運んでくる節祭などなど。

 一方、西表では離島ならではの問題も垣間見ました。ゴミ問題、公共事業や巨大リゾートへの依存、過疎化あるいは少子高齢化など。

 「西表どうだった?」と聞かれても答えに困るけど、「帰ってきてから何だかポジティブなエネルギーが自分の中に流れている」という事実が全てを物語っています。

節(シチ)祭のクライマックスの模様
「さーさーさーさーさー」との
掛け声と共に踊ります。

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馬場 直子(ナマケモノ倶楽部事務局)

 ナマケモノのツアーっていいなあと、改めてナマケモノ倶楽部が好きになった西表の旅でした。爪にかすかに残る青色は、琉球藍が発するメッセージなので、日に日に取れていくのがとても寂しいです。

 3泊4日と短いスケジュールだったにもかかわらず、島の自然・文化・島に住んでる方々の生活の「一端」に触れることができました。

 大人数の私たちを快く受け入れてくださった西表島エコツーリズム協会の永井伸子さん、ペンション・アトクの河合さんご夫妻、石垣金星さん、昭子さんはじめ紅露工房のみなさん、星さん、どうもありがとうございました。

 沖縄は初めて!だった私は、トドマリ浜の砂、その砂浜をたたたっと歩くカニ、波で打ち上げられてくるマングローブの芽に、ぜいたくさを感じずにはいられませんでした。

 また、紅露工房での藍染めはじめ、浦内川河口の汽水域でしかできない海晒し工程では、昭子さんたちが取り組まれている、伝統文化を現代アートとして蘇らせるパワーと、その織物の美しさにただただ圧倒されました。

 藍のバケツに最初に白い布を入れたとき、すぐ藍色になるのではなく、エメラルドグリーンのような明るい緑色だったことには本当に驚きました!

 浦内川を守るように生育するマングローブ林や、かつて田んぼだった廃村に立ち寄り、石垣金星さんやガイドの方のお話を聞き、人間は自然に寄り添って生きていることを実感しました。

 川を動力船で上っているとき、カヤックで下っているとき、電線も人家も見えなく、また車の音もまったくといって聞こえないのが、本当に気持ちよかったです。夜になると、東京ではなかなか出会えない「真っ暗闇」をきっと体験できるのでしょう。

 帰る日の前日、トドマリ浜の前に建つというリゾートマンションの建設現場を浜から眺めました。低層階で景観に配慮しているのかもしれませんが、この浜にはとても大きくすぎるサイズのように思えました。

 私たち自身、今回18人で「大勢」だといわれていたのに、そのマンションでは、その十倍近くの人が泊まることができるそうです。

 同じ浜から向こう岸を眺めると、その先端に今は廃墟となっているというコンクリートの御殿が見えました。コンクリートは何世代を経ても土には還りません。

 浦内川のすぐ近くにあるペンション・アトクのお庭から夜になると聞こえてくる、カエルや様々な虫の声。これらの豊かな生命(いのち)たちは、多くの人が押し寄せてくるのにびっくりしはしないか、また島の人たちの生活時間が東京時間に変わることによって、島のよさが失われてしまうのではないかという思いが心をよぎります。

 それらがいいとも悪いともいえません。

 でも、私たちが素直に感動した西表の自然や文化や島の皆さんの生き様は、きっと島の人たちの生活時間をベースにしたものだったからこそ、より魅力的だったのではないかなあと思います。(とはいっても、短期滞在でみなさんの生活文化の一端にしか触れておらず、まだまだ学びたいことはいっぱいです!)
滞在のほとんど雨が降ってましたが、それは西表にとっては恵みの雨。

 今後も、ナマケモノ倶楽部として、島の時間にあわせたツアーを体験させていただき、そして自然と人間とがどうやって寄り添って未来にむかって生きていけるのか、その知恵を少しでも西表の人々や自然に学ばせていただければなと思いました。

 今回、実際に歩いて感じた西表島は、私自身の「生活の質」を高め、「感覚のアンテナ」をとぎすますきっかけになりました。

 ありがとうございます♪

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木藍染めのハンカチ 篠 健司

 西表島から帰って1週間。今でも僕の爪には、1枚の木綿のハンカチを染めた時に着いた藍の色がわずかに残っている。3泊4日、実質的には丸2日間という短い滞在で触れた西表島は、この1枚のハンカチに凝縮されているような気がする。素人の僕が染めたこのハンカチでさえも、大量生産されたそれとは違い、唯一無二の表情を持っている。なぜなら、染めの出来上がりはそのときの自然条件に左右されるからだという。石垣昭子さんの織られた芭蕉布は本当に美しかった。その布を生み出すのは西表独特の空気、光、風。そして、マングローブの森が浄化する海の水。しかも、染料の醗酵には西表にある木に棲む菌や、泡盛が不可欠なのだという。目には見えないひとつひとつの自然の力が、自然の素材から紡がれる布や染料、人々が受け継いできた知恵、創り手の心と組み合わさって初めて生まれる布。この布を生み出した要素が一つでも欠けていれば、僕が今回触れた西表はなかったのだ、と思う。

藍染をした手

 しかし、年に一度神々が遊ぶという神聖な浜、トゥドゥマリの浜で進行しているリゾート開発は、奇跡的に生まれた生物の多様性のみならず、その自然とともに暮らしてきた島の人々の生活にも大きな影響を与えつつある。経済的に豊かな地域に暮らしている僕に島の経済に短期的とは言え多少の好影響を与えるかもしれないこの開発に異を唱える権利はあるのだろうか、とも思う。しかし、結果的にその利益を享受するのは、きっとごく一部の人々に過ぎないし、次の世代に引き継ぐべきなのは、ホテルではなく、固有の自然と、数百年もの間受け継いできた文化なのだと思う。布は、リゾート開発により自然環境が変化しても、化学的手法を用いれば見た目には同じものができる、という。しかし、そうして出来上がった布は、大切なプロセスが省略されてしまう。人々がその一瞬一瞬の気持ちを込めたプロセスこそに価値があるだと思う。しかも、生き物それぞれがお互いに微妙な依存関係にある中では、ちょっとした環境変化が大きな変化をもたし、独特の多様性は失われてしまい、二度と取り戻せない。

 もう一つ、今回思ったことは、西表の旅にはリゾートホテルは似合わない、ということ。トゥドゥマリの浜に建設中のホテルは、僕には異物にしか見えない。ここには相応しくない。リゾートホテルはいかにも自然と繋がっているように宣伝されるのが常であるが、もし、本当にそれを望むのであれば、コンクリートの塊で自然と隔離され、設備の充実したホテルより、風や雨、光といった自然をそのまま受け入れ、包まれるように佇む宿や、テントの方が西表の旅には似合う。その方が圧倒的に気持ちが良い、と思う。

 人々は何のために西表を訪れるのだろうか。ここでしか触れることのできない自然や文化に触れたいからではないだろうか。プールもいらないし、夜の街灯もいらない。なぜなら、本当に美しい海があるし、数え切れない星がある。このハンカチを見るたびに、西表の魅力的な自然、人々が目の前に蘇ってくる。

夕日:神々が遊ぶと言われるトゥドゥマリの浜

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藤岡 亜美

 だんだん小さくなる島を背に、石垣金星さんのもいでくれたアセロラをかじる。ひとつぶ、ふたつぶ。3つ目の実からニョロっと黒い虫が一匹出てきた。「連れてきてしまったなあ」。

「ここにはすべてがあるのに、西表は沖縄を、沖縄は東京を向いている」。

 金色のナマケモノ、金星さんのいったその順番を辿り、私は帰路に着く。アセロラを育てた11月の太陽が、ゆっくりと沈んでゆく。これからここに書く旅の話は、例えていうなら、三線の奏でる音楽に似ている。いちいち心の琴線に触れる旅だ。弾いた弦がぶるッと震えて胸の奥がキーンとする感じ。そればかりは、きっと文章には再現しきれない。

 デビッド・スズキとオオイワ・ケイボーは、1992年「Japan we never knew」という本の中で、この島をおとづれている。台湾と同じ緯度に位置し、周囲130キロ、日本最大級のマングローヴ林を抱く。伝統である染めと織りやのある生活や、有機米栽培など、ここ西表島の自然に寄り添った文化の有り様が、そこにはイキイキと伝えられている。当時、一緒に島をおとづれ海水浴をしていたデビッドの幼い娘セヴァンは、10年後、世界的な環境運動家になった。早さや効率ばかりを優先し「ここにしかないもの」を消してゆく世界で、彼女と私達は育ち、そして10年後、再び島を訪れた。「僕らの知らなかった日本」を見つけに。

 島に着いたのは叩き付けるような大雨の日。雨と高波で、船は予定していた港につけずに、迂回をしたほどだった。でもそれは、天気予報がよく言う「あいにくの雨」とは違う「神様の雨」だったらしく、残念な顔をしているのは私たちだけだった。島のひとたちは、その週に猟が解禁になったばかりのイノシシ鍋を用意して迎えてくださり、「世果報の雨を連れてきてくれてありがとう」と、金星さんは言った。その言葉をきいたとき、心から西表島に着いた気がした。

 八重山手帳というものがある。八重山諸島の書店、売店で販売されているこの手帳は、いわば地元学の体現。潮の満ち引きと日の出日の入り、毎年変わる祭りの暦島々の長老の誕生日のお祝など、暮らしのリズムが一目瞭然になっている。雨が恵みであるように、ここでは、時間も、人も、自然も、島独自の物語でとらえられる。暮らしの中に、音、味、暦、歴史といった、なんだか生きている実感みたいなものが染み込んでいるのだ。

 石垣昭子さんは、工房の隣に芭蕉の畑を持ち、その繊維で布を織り染色し、それを海で晒す。染色には工房の名前にもなっている紅露のように、ここにしかない植物を多く使う。海晒しには強い太陽が必要だし、温度は染料の機嫌を決める。朝、目がさめてから、その一日にする仕事をきめる。「自然に逆らってはだめ」が彼女の口癖で、無理は決してしない。「今ここ」を織りこんだ布。過去とも未来ともつながる今。

 300年前から続いている節という祭りがある。海岸には沖に向けて2艘のサバニが並んでいた。祭りが近付いたある日の夜、公民館では女達が神様に御供えする御馳走について話し合っていた。「そこにはこれが並ぶのよ」「いや、そうじゃないわよ、これよ」「○○さん持って来て。」紙に記録しておけばいいのにと思ったが、きっとそうじゃないんだ。こうしてみんなで確かめあう会話自体が、神様へのひとつの祈りの形なのかもしれない。

 節の稽古が終わると、街灯のほとんどないとても暗い路地を帰る。こんな風に「気配」が頼りの世界は久々。実はこの日は雑誌の撮影のために稽古後の子供達を村の古民家に集めてもらった。全ては森林パトロールをしている「のーじ」の一声で。のーじが歩くと、やんちゃ坊主たちは自転車で歩きで着いてくる。あちらこちらから「のーじ、のーじ」と呼び声がかかる。穏やかで朗らかなのーじへの、子供達の信頼が「声」の中にも入っていた。多分日本中の町や村からどんどん消えている、つながりってものをとても濃く感じた。「これは完全に魔法だ」と思うと、暗いことをいいことに、涙がでてきた。

 のーじのお母さんの智恵子さんは今98歳。アダンという黄色の実をつける植物の根で、縄を綯う名人である。畳の上に水の入ったお茶碗。少し湿らせた手でアダンの繊維を綯う。みんなが息を飲むように彼女の手付きを見守った。あんなにも美しい手を私は初めてみた。無駄のないしなやかな動き。ジェフが言った「僕らが何を話しても、シャッターを切って、彼女は動じずに縄をなう時間を刻んでいるのをみていたら、100年間彼女がどんな考え事をしながら縄をなっていたんだろうと思って、とても豊かな気持ちになった。」思い起こせば、確かにそこには全く違う時間の流れがあった。縄を綯うことを始めた何百年の昔から、途切れない確かな時間の流れ。あの手は神様の手だったのかもしれないとすら、私は思う。

 智恵子さんが生まれた100年前も、この島の中心を動脈のように流れていた川がある。浦内川。上流には神様の遊ぶと言われる「カンピレイの滝」。急流はやがて大河になり、マングローヴを育てる。人が住み、そこに田んぼを作ると、その畦の小さな虫を捕食する小動物があつまり、小動物の周りにそれより少し大きなものが集まり、そのつながりは生態系の頂点に位置する西表山猫を支えた。山猫は人々にとって神様のひとりだった。しかし、島に電気が入り、外周を道路が取り囲むと、次第に人々は港の近くに住むようになった。田畑は荒廃し、山猫の姿も見えなくなる。

 今年の3月、この島に大規模なリゾートホテルが建設される。神様しか遊んではいけないと言われるトゥドゥマリの浜。海と川が混じる汽水域に、1000人規模のリゾートをたてる。人工1000人の島に、その倍以上の規模のゴミと廃水の問題がのしかかるわけだ。それがいかに暴力的かは、言うまでもない。

 そんな中、石垣昭子さんの工房には日本各地から魅力的な若者があつまり、染め通りを学ぶ。金星さんは10年前からエコツーリズム協会を立ち上げ、島の文化とつながったツーリズムのあり方を中心になって模索している。浦内川観光では、例えばマングローヴの同じ沼地に降りるまで2週間という期間をあける。文化の中にはあった自然との距離の取り方を新しいやり方で模索しているのだ。荒廃している田圃の跡地を復興して、生物のつながり、山猫を蘇らせる計画も進めている。僕らの知らなかった日本は、宝物のような場所。ここから世界をみれば、新しい物語を紡ぎなおせるかもしれない。

 フェリーと飛行機を乗り継いで那覇に着く。全日空ホテルのエレベーターで、酔っぱらったおじさん集団と一緒になった。社員旅行か何かの御様子で、沖縄の女の人とお酒について上機嫌に話している。「おねえちゃん、沖縄の人?」聞かれるだろうなと思ったらやっぱり聞かれた。おじいちゃんが沖縄の人なので、はっきりした顔立ちをしているから、東京にいてもたまに聞かれる。

 そこで、きっぱりと答えてみた。「そうです。西表から来ました。」25%の事実と、25%のてーげー(適当)さと、25%の願望と、25%の「おまじない」を込めて。

 神様、少しでもピラチカに近付けますように。
 そして、人々の命がいつまでも島と共にあるように。

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宝の島、西表島 渡邊 由里佳

 初めて訪れた西表島。訪れた山、林、カヌーで下った浦内川、散歩をしたトゥドゥマリ浜、ただそこに落ちている貝殻や流れ着いたマングローブの種や流木、浜をてけてけ歩くヤドカリ、マングローブ、竹林、五感で感じた植物、初めての藍染体験、芭蕉で作ったお箸入れ、地元の食材がたっぷり入った手作りのご飯、98歳のちえこおばあに見せてもらった縄あみ。町をあげて世代が入り混じって進む祭り準備の様子。村に伝わる踊り、歌、舞いを長老たちが若者に教える。そして島を心から愛する人たち。

マングローブが広がる浜にて

 それら全てが“西表島時間”をつくっていて、その流れがなんとも心地良かった。たった3日間の滞在だったけれど、西表の時間に身をおいて、空気をたくさん吸って、たっぷりごはんをたべて、お酒ものんで、たくさん眠った。

 西表は、大切なものがたくさんたくさん詰まった、間違いなく宝の島だ。

 そんな西表島でリゾート開発問題が今起きている(2003年11月現在)。トゥドゥマリ浜に面した場所にリゾートホテルが建てられている。その浜は神々が宿る場所としても知られ西表島の生活文化の中で昔から大切な場所であり、また、海がめの産卵場所であったり生態系的にも、貴重な場所とされている。そのホテルができあがることで、現在西表の人口約300人と同じ人数が行き来するようになると言われている(島人口は一気に700人に膨れ上がる!)それに伴い生じる問題、例えばゴミ問題ひとつとっても解決されずに、ホテルは着々と工事が進められている。

 そんなところになぜ? そんな状況でなぜ? どうして? 西表の文化を、生物を、森を、時間を守るために、今回の訪問での水先案内人を務めてくれ、島の時間を私たちに贈ってくれた石垣金星さんたちは立ちあがった。 (cf: 西表の未来を創る会)ときには静粛にときにはラディアカルにアクションする。裁判を起こし、現在も原告を募集し続けている。

 金星さんから、夜通し西表島の話を聞く機会があった。そんな中でもリゾート問題を話すときの表情や荒げた声は忘れられなかった。

 金星さんのそのピンとはった小さな背中は、島を心底愛していること、そして島を守っていくという彼の信念と使命を語っていた。現在起きているリゾート開発から、村を守って欲しいという村民達から託された想いをがっしりと受け止めていた。大人と子供のつながりが濃い西表島で、そんな金星さんの背中を見て、育つ、村の子供達がうらやましくもなった。

 南米エクアドルでその美しい空気と川、それを作り出す森を守ること使命と感じその使命をまっとうしている仲間のことを思い出した。

 共通するものを金星さんからも感じた。熱く、過激な金星さん。その姿勢と信念を、すごくかっこいいと思った。逆にそうでなければ守れないものがあり、そうまでして守るべきものだということを、彼は気づいている。

 多分それは「自分のためにで」はなく、これから先続くであろう、人間の“生”というもののために。

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