だんだん小さくなる島を背に、石垣金星さんのもいでくれたアセロラをかじる。ひとつぶ、ふたつぶ。3つ目の実からニョロっと黒い虫が一匹出てきた。「連れてきてしまったなあ」。
「ここにはすべてがあるのに、西表は沖縄を、沖縄は東京を向いている」。
金色のナマケモノ、金星さんのいったその順番を辿り、私は帰路に着く。アセロラを育てた11月の太陽が、ゆっくりと沈んでゆく。これからここに書く旅の話は、例えていうなら、三線の奏でる音楽に似ている。いちいち心の琴線に触れる旅だ。弾いた弦がぶるッと震えて胸の奥がキーンとする感じ。そればかりは、きっと文章には再現しきれない。
デビッド・スズキとオオイワ・ケイボーは、1992年「Japan we never knew」という本の中で、この島をおとづれている。台湾と同じ緯度に位置し、周囲130キロ、日本最大級のマングローヴ林を抱く。伝統である染めと織りやのある生活や、有機米栽培など、ここ西表島の自然に寄り添った文化の有り様が、そこにはイキイキと伝えられている。当時、一緒に島をおとづれ海水浴をしていたデビッドの幼い娘セヴァンは、10年後、世界的な環境運動家になった。早さや効率ばかりを優先し「ここにしかないもの」を消してゆく世界で、彼女と私達は育ち、そして10年後、再び島を訪れた。「僕らの知らなかった日本」を見つけに。
島に着いたのは叩き付けるような大雨の日。雨と高波で、船は予定していた港につけずに、迂回をしたほどだった。でもそれは、天気予報がよく言う「あいにくの雨」とは違う「神様の雨」だったらしく、残念な顔をしているのは私たちだけだった。島のひとたちは、その週に猟が解禁になったばかりのイノシシ鍋を用意して迎えてくださり、「世果報の雨を連れてきてくれてありがとう」と、金星さんは言った。その言葉をきいたとき、心から西表島に着いた気がした。
八重山手帳というものがある。八重山諸島の書店、売店で販売されているこの手帳は、いわば地元学の体現。潮の満ち引きと日の出日の入り、毎年変わる祭りの暦島々の長老の誕生日のお祝など、暮らしのリズムが一目瞭然になっている。雨が恵みであるように、ここでは、時間も、人も、自然も、島独自の物語でとらえられる。暮らしの中に、音、味、暦、歴史といった、なんだか生きている実感みたいなものが染み込んでいるのだ。
石垣昭子さんは、工房の隣に芭蕉の畑を持ち、その繊維で布を織り染色し、それを海で晒す。染色には工房の名前にもなっている紅露のように、ここにしかない植物を多く使う。海晒しには強い太陽が必要だし、温度は染料の機嫌を決める。朝、目がさめてから、その一日にする仕事をきめる。「自然に逆らってはだめ」が彼女の口癖で、無理は決してしない。「今ここ」を織りこんだ布。過去とも未来ともつながる今。
300年前から続いている節という祭りがある。海岸には沖に向けて2艘のサバニが並んでいた。祭りが近付いたある日の夜、公民館では女達が神様に御供えする御馳走について話し合っていた。「そこにはこれが並ぶのよ」「いや、そうじゃないわよ、これよ」「○○さん持って来て。」紙に記録しておけばいいのにと思ったが、きっとそうじゃないんだ。こうしてみんなで確かめあう会話自体が、神様へのひとつの祈りの形なのかもしれない。
節の稽古が終わると、街灯のほとんどないとても暗い路地を帰る。こんな風に「気配」が頼りの世界は久々。実はこの日は雑誌の撮影のために稽古後の子供達を村の古民家に集めてもらった。全ては森林パトロールをしている「のーじ」の一声で。のーじが歩くと、やんちゃ坊主たちは自転車で歩きで着いてくる。あちらこちらから「のーじ、のーじ」と呼び声がかかる。穏やかで朗らかなのーじへの、子供達の信頼が「声」の中にも入っていた。多分日本中の町や村からどんどん消えている、つながりってものをとても濃く感じた。「これは完全に魔法だ」と思うと、暗いことをいいことに、涙がでてきた。
のーじのお母さんの智恵子さんは今98歳。アダンという黄色の実をつける植物の根で、縄を綯う名人である。畳の上に水の入ったお茶碗。少し湿らせた手でアダンの繊維を綯う。みんなが息を飲むように彼女の手付きを見守った。あんなにも美しい手を私は初めてみた。無駄のないしなやかな動き。ジェフが言った「僕らが何を話しても、シャッターを切って、彼女は動じずに縄をなう時間を刻んでいるのをみていたら、100年間彼女がどんな考え事をしながら縄をなっていたんだろうと思って、とても豊かな気持ちになった。」思い起こせば、確かにそこには全く違う時間の流れがあった。縄を綯うことを始めた何百年の昔から、途切れない確かな時間の流れ。あの手は神様の手だったのかもしれないとすら、私は思う。
智恵子さんが生まれた100年前も、この島の中心を動脈のように流れていた川がある。浦内川。上流には神様の遊ぶと言われる「カンピレイの滝」。急流はやがて大河になり、マングローヴを育てる。人が住み、そこに田んぼを作ると、その畦の小さな虫を捕食する小動物があつまり、小動物の周りにそれより少し大きなものが集まり、そのつながりは生態系の頂点に位置する西表山猫を支えた。山猫は人々にとって神様のひとりだった。しかし、島に電気が入り、外周を道路が取り囲むと、次第に人々は港の近くに住むようになった。田畑は荒廃し、山猫の姿も見えなくなる。
今年の3月、この島に大規模なリゾートホテルが建設される。神様しか遊んではいけないと言われるトゥドゥマリの浜。海と川が混じる汽水域に、1000人規模のリゾートをたてる。人工1000人の島に、その倍以上の規模のゴミと廃水の問題がのしかかるわけだ。それがいかに暴力的かは、言うまでもない。
そんな中、石垣昭子さんの工房には日本各地から魅力的な若者があつまり、染め通りを学ぶ。金星さんは10年前からエコツーリズム協会を立ち上げ、島の文化とつながったツーリズムのあり方を中心になって模索している。浦内川観光では、例えばマングローヴの同じ沼地に降りるまで2週間という期間をあける。文化の中にはあった自然との距離の取り方を新しいやり方で模索しているのだ。荒廃している田圃の跡地を復興して、生物のつながり、山猫を蘇らせる計画も進めている。僕らの知らなかった日本は、宝物のような場所。ここから世界をみれば、新しい物語を紡ぎなおせるかもしれない。
フェリーと飛行機を乗り継いで那覇に着く。全日空ホテルのエレベーターで、酔っぱらったおじさん集団と一緒になった。社員旅行か何かの御様子で、沖縄の女の人とお酒について上機嫌に話している。「おねえちゃん、沖縄の人?」聞かれるだろうなと思ったらやっぱり聞かれた。おじいちゃんが沖縄の人なので、はっきりした顔立ちをしているから、東京にいてもたまに聞かれる。
そこで、きっぱりと答えてみた。「そうです。西表から来ました。」25%の事実と、25%のてーげー(適当)さと、25%の願望と、25%の「おまじない」を込めて。
神様、少しでもピラチカに近付けますように。
そして、人々の命がいつまでも島と共にあるように。
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