2002年秋、日本で先駆的に有機農業の産直運動に取り組んできた「大地を守る会」の藤田和芳会長から、社員合宿を電気を消して行灯で過ごしたら社員にも好評だったと報告がありました。その後、辻信一さんと藤田会長でアイデアをあたため、「2003年からは名前をリニューアルして、もっと全国的なムーブメントにしよう」と意気投合しました。
「自主停電運動」ではオシャレではなく、環境に関心のある人のアンテナにしか届かない。けれども、たとえば「キャンドルナイト」という名称なら、ふつうの若い人が気軽に参加できるイベントになるのではないか。キャンペーンに脱石油、反原発などの「思い」は必要だが、手法としてはもっと間口を広く、イベントに参加することで他の問題にも興味をもってもらえるような仕掛けを作ろう。
2003年1月、辻さんと藤田会長から、このキャンペーンを一緒に展開したい呼びかけ人に声がかかりました。環境ジャーナリスト・通訳の枝廣淳子さん、大手広告会社で働きながらNPO活動に参加するマエキタミヤコさん、作家の立松和平さんなど、さまざまな職種や団体の人が集まり、実行委員会が開かれました。
「1万人参加するかな?」「いや1万人では語呂が悪いから思い切って100万人とうたおう、目標であって100万人が参加しなくたっていいのだから」…、さまざまな意見を経て、この夏至の日にたった2時間電気を消すことを呼びかけるために発足したプロジェクトは「100万人のキャンドルナイト」と名づけられ、ひとつのムーブメントとして動き出しました。
実行委員会では、夏至の日の2時間、ただ電気を消すことだけを呼びかけました。「環境にやさしい」とか「地球温暖化を止めるために」とか「石油に依存したエネルギー政策に反対して」という文言はどこにもありません。たった半年しか準備期間がないにも関わらず、スローライフが時流になったこともあり、この呼びかけは瞬く間に広がりました。
まず温暖化防止キャンペーンをどう国民に普及しようかと頭を抱えていた環境省が後援につきました。それから「消灯なら予算がかからないし、エコロジカルだ」と岩手県をはじめ千葉県、熊本県の知事が賛同メッセージを寄せてくれ、県庁舎などの消灯を約束してくれました。
また坂本龍一さんや中嶋朋子さんといった有名人もエールを送ってくれました。環境や脱原発に取り組む市民グループから「生ぬるい!」と反発が来ないかという心配も杞憂に終わり、全国のNGO、学生サークル、カフェ、ホテルなどまさに、産・官・民が一体となって「でんきを消してスローな夜を」と夏至の日の2時間のために動き出したのです。
100万人のキャンドルナイトが、実行委員会主導ではなく、趣旨に賛同するグループや個人、企業が「100万人のキャンドルナイト参加イベントです!」とエントリーすることで自然派生的に広がっていったのには、ホームページと言う現代のネットワークツールを特筆すべきでしょう。
「キャンドルスケープ」という機能では、「今、日本全国で何人がキャンドルナイトに参加しているのか、自分の住む県ではどのくらいの人が参加しているのか」ということが、日本地図上のローソクの灯りで可視的に伝えることに成功しました。
「夏至の日のキャンドルナイトに参加します!」と賛同する人たちは、携帯電話あるいはパソコンから自分の家の郵便番号を指定のEメールアドレスに送信します。すると返信で「あなたは何番目のキャンドルをxx県にお住まいの方から受け取りました」というメッセージとともに、郵便番号に相当する県のあたりにひとつ、ぽっと灯りが増えるのです。全国的な動きがわかるとともに、「自分がキャンドルのリレーに参加しているんだ」、という自己参加の動機づけにつながりました。
このほか、全国のイベント情報を紹介するページや呼びかけ人や賛同人のメッセージを若いウェブ制作メンバーのセンスと技術でおしゃれに発信することで、硬い環境運動ではなく、「おしゃれでロマンチックなイベント」というイメージで認知されていったのだと思います。
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