zoonyとは、否定の先をみること。今までは、「〜せずに。」「〜しない。」反対。文はそこで終わっていた。否定の先が見えなかった。zoonyは、否定の先へと進みでること。英語で言うオルタナティブ。「〜せずに・・・する。」“・・・”のところに新しい可能性が開ける。
自分の周りを見回してみよう。いつの間にか、積み上げられたものや機械の数々。そこへとプラグインされた自分。どれもみなそれ無しには生きられない。「それがあることによって自分の生は生きるに値する」と、少なくともある瞬間には思われたものたち。でもそのひとつひとつにいま「もし、これがなかったら・・・」と疑問符をつけてみる。するとそれをつかわずに、それに依存せずに生きる、もうひとつの自分が見えて来る。
しばらくのあいだ、ちょっとした不便になるかもしれない。なにごとにも慣れるには時間がかかる。でもそのちょっとした不便は依存から解き放してくれる小さな代償なのだ。ひとつ機械をアンプラグするとかつてその機械なしに生きていた自分があらわれる。その機械を補ってあまりある能力を持つ自分。
また、ちょっとした不便は、物ばかりではなく自分を取り巻く周囲の人々とのもうひとつの関係をも意味するだろう。その人々とのあいだの時間は前よりもすこしゆっくりと流れる。そしてもちろん、ズーニーは私と自然環境とのあいだのもっとずっと柔らかで、優しく、協力的な関係を意味するだろう。
使い捨てzoony・・・ペットボトル、缶、買い物のプラスティックバック、ティッシュペーパー、生理用品、紙おむつ、見回せば使い捨ての品物は日常にあふれている。zoonyで扱うのは、ひとつ持てば毎日「使い捨てずに」すむ商品。
代表選手は水筒。伝統のなかのエコロジカルなものを見直し、それを新鮮なスタイルで提供していくことをめざしている。低エネルギーで、環境に配慮した、自前のライフスタイルへの種をまきでもある。「すいとう」とは北九州の言葉で「好きだよ」という意味。「すいとうや?」といえば、それは「好きかい?」ということ。「すいとう?屋」が水筒を売る、結局それは愛の問題だってこと。
あなたは外出していてのどが乾いたらどうするだろう。駅のホームで、帰り道で、店の前で、自動販売機の前に立っていないだろうか?自動販売機が使っている電力の多さを知っているだろうか。もし、今日本中の自動販売機がなくなったら、原子力発電所がひとつ必要ではなくなる。どんなに人のこない場所にある自動販売機でも毎日毎日、誰か客がくるのを待ってあかあかと自己主張し、常にジュースを冷たく、温かく用意して立っている。また、一人が一日一本自動販売機でジュースを飲んでいるとしたら、どれだけの空き缶がでているだろう。低エネルギーでエコロジカルな生活を実践するために、ひとりひとりが外出するときは水筒を持ち歩こう!という運動です。
引き算の進歩・・・非電化もすいとうもズーニー、伝統工芸、自然素材って、考えてみるとみんなズーニー。江戸時代の「粋」っていうのは、ちょっとした不便をかっこよく忍ぶところに成り立つようで、実はエコロジカル。ダグラス・ラミスの言う引き算の進歩がここにある。ちょっとした物質的(あるいはテクノロジカルな)マイナスが実は、美的には逆にプラスで、ちょっとした不便が実は快楽を意味する。こうしたことは地域通貨でも言えるんだろうと思う。LETSもズーニー、だから粋で楽しく心地よい。スロー・マネー。
(辻信一) |