あるインタグ人が見た日本
日本への旅について書くのは、ちょっと難しい。ほとんどすべての面において、私たちの国とは違って見えた。しかし、試みるに価する様々なことを学んだ。
10月2日から23日までの旅であった。ナマケモノ倶楽部、日本ブラジルネットワーク、そして何よりも、AACRIからコーヒーを購入しているケイボー、中村隆市両氏の個人的な働きのおかげである。彼らの支援するエクアドルでのプロジェクトへの関心を高めるため、そしてエクアドルの文化や生物多様性についてよりよく知ってもらうために彼らはフィエスタ・エクアドルを催した。もうひとつの目的は、インタグのコーヒーのことと、我々の環境を守るための戦いのことをより広く知らせることであった。この旅は、経済学者アウキ・ティトゥアニャの妻ルス・マリナ・デ・ラ・ベガ医師、バイア・デ・カラケスのマルセロ・ルケ氏、アニャ・ライトさん、そしてサンロレンソの音楽とダンスのグループ、ベレフと一緒であった。
ルス・マリナ医師とわたしは、講演会の講師をすることに力を注いだ。より民主的な社会づくりに取り組んでいるわたしたちの地域のことと、持続可能な発展を構築するための努力を知ってもらい、そのプロセスにおいて必要な支援を募るためである。持続可能な発展とは、環境を傷つけることのない方法で天然の資源を利用し、保護すること。それは、環境のためであり、未来の世代を守ることである。貨幣を使わないオルタナティブな商業システム、地域通貨(Sintral)についてはベガ医師が述べ、非常に興味を集めた。友人であるナマケモノ倶楽部のメンバーは、少々私達を働かせ過ぎた。18日間の内に10の地域において全部で14の講演や交流会を行った。それぞれの地域は、1000万の人口を持つ首都東京から、アプエラよりも小さな村まで、様々であった。
この旅は、私にとって非常に重要で、感動的であった。世界で一番「発展した」社会のうちのひとつを体験することができた(少なくとも、物質的豊かさという点で「発展」している)。しかし、わたしにとって最も重要だったのは、様々な人達と知り合い、対話できたことである。環境活動家、企業家、大学生、大学教授、政治家、主婦、農業従事者。日本の人達の親切と人の良さに触れたことは、わたしにとって大きなインパクトであった。それは、一部には非常に高い教育レベルによるものであることは、間違いないであろう。(例えば、読み書きのできない人は一人もいない。人口の50%以上が、大学教育を受けているのである。)その生活水準の高さには、とても感激した。わたしたちが訪れた7以上の市町村では、貧しい人々を見かけることがなかったのである。
私たちが行った場所が特別だったわけではない。東京へも行ったし、福岡のように、キトと同じ人口を持つが小さいと言われる都市へも行った。小さな村へも行ったし、2日間は農村の米生産者のところでも過ごすこともできた。
たった30%エクアドルよりも大きいだけのところに一億二千万人が住み、エクアドルと同じように山の多いこの国では、ほぼ全ての山で保護措置がとられている。物質的にこれほど豊かなこの国で、70%の土地が森に覆われたままで保たれているというのだ。これも、皆が感動したことのひとつである。特別な許可なしに日本で木を切ることは、まず不可能だ。しかしもっとつっこんで見てみると、この保護は、一方でほかの国々の森に影響することによって成し遂げられてきたのである。
ほかにも私たち皆を感激させたのは、それぞれのイベントの成功を支えた若いボランティア達の非常な働きぶりである。その支えがなければ、このイベントは実現できなかったであろう。交通機関には、皆開いた口がふさがらなかった。毎日、何千もの電車・地下鉄が電力を消費しながら何百万もの人々を移送する。都市中心部の電車サービスは、止まることなく続き、1つの電車に乗るのに5分と待つ必要はなかった。効果的なバスサービスもある。汚染を減らすためにタクシーはガソリンのかわりにガスを使っている。どこにでも自転車を見かけるし、自転車のためのパーキングエリアまであった。
全体として、これらやその他の環境のための措置によって、大きな都市ではエクアドルの都市部よりもずいぶん汚染が減らされている。少なくともわたしの見た限りでは、市民、地方自治体、政府が、我が国よりもずっと環境に気を配っている。
発展の高い代償−
すべての人々への教訓人生においてただのものなどない。これはよく知られたことわざである。この大国によって成し遂げられた物質的発展には、とても高いコストを伴った。日本の環境と社会への影響という直接的なコストのほかにも、もう少し突き詰めて分析してみよう。日本の発展のために特に木材、金属、エネルギー(石油)といった資源が費やされたことは、他国の環境や社会に大きな影響を与えることとなった。これは、主に天然資源の過剰消費の上に成り立つライフスタイルによるものである(通りで古い車を見かけることがない、という例を引き合いに出せよう)。日本はその資源の大部分を輸入しなくてはならないため、環境への影響が資源の採掘の影響を被るほかの国々へと移行している。
“先進国”の中で日本だけが発展途上国の天然資源に頼っているわけではない。この依存は、工業化した大部分の国においてごく一般的なことである(例えば、アメリカ合衆国は膨大な量の石油を輸入しているため、エクアドルやその他の国々の環境破壊を引き起こしている。)
水俣―忘れ得ぬ経験
幸運なことに(しかし喜ばしいことではなく)、日本の“発展”による高いコストの例に直接触れることができた。世界でもよく知られた環境の悲劇が起こった地である水俣で、わたしたちは忘れられない数時間を過ごした。わたし達がこの小さな町を訪れたのは、偶然にも水銀による公害についての第6回目の会議が行われていた時であった。
その中には、水俣で起こった人的、環境学的災難についての展示もあった。その展示の説明を緒方氏にしていただくという光栄に恵まれた。緒方氏は、この悲劇の責任者である政府と会社を相手取っての裁判を実現させるため、戦いの先頭に立っている指導者のひとりである。この悲劇は彼の多くの親類にも影響を及ぼした。
1900年代初期、日本はすべてを費やして工業、経済面での“発展”を追い求めていた。工業的発展は、日本の政治家にとって聖なるものであり、国民の大部分から受け入れられた神話であった。工業は、政府による全面的な支援を受けていた。やる気のある人達には工業化への青信号が点り、申し訳なく思うこともなく、人命を大切にすることもなしに汚染がすすんだ。このような精神状態が、化学製品工業と窒素肥料を水俣に定着させ、水俣湾を水銀で汚染させることになった。この湾は、現在でもそうだが、地域の人々の食生活にとって重要な海産物の源であった。そのため、徐々に水俣に住む者達−何千もの人々、犬、猫、鳥までも−が中毒となっていった。皆この湾から取れる魚や魚介類を食べていたためである。
わたしにとって、日本滞在で最も心を揺さぶられたのは、水俣で過ごした時間であり、緒方氏との対話であった。彼は展示してある写真を用いて、水銀が生物にどのような打撃を与えたのかを説明してくれた。身体障害者となり、人間らしさを奪われ、食べることもできず、歩くこともできず、知恵遅れとなり、完全に姿を変えられた植物人間といわれる人々。緒方氏は、現在水俣病とよばれるこの破壊的な病気によって、どれだけ家族が荒廃させられたかを話してくれた。すべては、水銀によるものであり、人間の「欲」という病気によるものである。
また、被害者とその家族に報いるために、汚染を引き起こした会社への要求に取り組んだ勇敢な人々の戦いについても多くの展示があった。彼らは、病気の原因がその会社にあるとの疑いをかけた。そこから、この物語のもうひとつの悲しい章が始まったのである。どれだけ政治家が国民ではなく会社を擁護していたか、それをビデオやレポートが証明していた。会社も政府も、汚染の原因が会社の廃棄した水銀にある、ということを証明する情報を隠していた。これによって汚染は悪化し、言葉では言い表せないほどのさらなる悲劇が人々に降りかかることとなった。
何年もの困難な戦いの後に、市民社会はこの汚染を食い止めることができたものの、戦いはまだ続いている。緒方氏とその同僚達は、被害者全員への正当な補償を求めており、また、地震やそのほかの自然災害によって湾が氾濫を起こした場合に、修復作業に取り組む労働者が打撃を受ける危険性を憂慮している。この地域の復興のために日本政府は、特にこのような工業プロジェクトにいつも伴うコスト、もっと言えば鉱業プロジェクトに何百万ドルものお金を投資しなければならなかった。そのコストとは、たいてい地域の人々の命と、国民の税金によって支払われるものなのだ。
水俣の後、足尾へ行った。そこでは、銅山開発によって何千ヘクタールもの森が破壊され、住民は立ち退きを余儀なくされた。川は有毒物質に汚染され、それを感慨農業用水として利用していた水稲生産者達が打撃を受けた。当然のごとく、汚染した米は何千もの消費者の健康をも損ねることとなった。その被害はすさまじく、銅山閉鎖後10年を経た今日でも把握できていないほどである。
この機会に、足尾の環境被害についての、そして鉱山によって強制退去を強いられた人々のことを忘れないための会議を開いた日本の研究者グループの人達に招待された。複数の科学者、政治家、市民活動家が、鉱山による環境面と社会面への様々な影響について述べた。
私には、インタグにおける日本企業三菱による鉱山開発の失敗と、これらのプロジェクトを止めるための我々の取り組みについて話してほしい、とのことであった。その発表の後、複数の研究者らが、私たちの地域での戦いを支援すると申し出てくれた。足尾のケースよりもひどい影響が引き起こされることをくい止めるために。
足尾での数日の間で、工業生産や少数の個人に利益をもたらすために、どれだけ自然や住民の人権がくり返し奪われてきたかを確信することができた。加工工場による汚染は非常に毒性が高かったため、足尾周辺の森を数キロメートルに渡って破壊した。今日に至っても、生気のない山腹が目につき、それを政府がとても高い費用をかけて修復しようとしている。足尾の住民は、破壊された場所の一部をそのままの姿でとっておいた。それは、環境教育のための一例として、銅山開発が自然を破壊した様子を示す一種のモニュメントの役割としてのものである。あまりに有害であったため、鉱山閉鎖から30年以上が経とうとも、いくつかの小川は汚染されたままである。
もうひとつ印象的だったのは、足尾の寺を管理している仏教の僧とのちょっとした出会いであった。我々は視察の一部としてそこへ立ち寄った。その僧はあいさつをしに出てきてくれ、足尾銅山によって引き起こされた環境問題と社会問題に関する、彼の見解を話してくれた。学生グループが次々にそこを訪れ、僧はその学生達に自然、特に森を大切にすることの重要性や、木が人間の精神面の健康に果たす重要な役割について説明するのだという。彼は足尾における銅山会社の引き起こした大きな破壊をとても憂いていた。最後に、通訳を介して言葉を交わし会うことができた。彼の偉業への感謝の気持ちを伝え、我々の住む地域で目指していることを少しだけお話しした。思ってもみなかったほどの彼の親切を、うれしく思った。そして、彼の寺と足尾の環境問題についてのビデオをプレゼントしてくれた。(スペイン語訳ができ次第、地域と教育機関で自由に使えるようになるだろう。)
足尾、水俣訪問に加えて、ルス・マリナ・デ・ラ・ベガ夫人と中村氏、それにわれわれの有能な通訳者で日系ブラジル人のクラウジオと共に、そのコインの裏面を見ることができた。その太古からの森と偉大で美しい自然により、世界遺産にも指定されている屋久島である。
屋久島は国の南の方にある。自然を破壊せずに、賢く天然資源を活かしながら発展するのは可能である、ということを示してくれている。屋久島は、エコツーリズムと手工芸品、漁業によって成り立っており、わたしには、日本で見た中でそこの住民が一番よい暮らしをしているように見えた。
この山がちな島は、約90%が天然の密林に覆われていて、多くの生物の中でも猿と鹿が多く生息している。猿の生息数は多く、またよく保護されている。猿が道で遊んでいるのにしょっちゅう出くわす。車や人を怖がらないため、道を運転するときには注意を払う必要がある。しかし、一番魅力的だったのは、樹齢3000年以上の巨大な杉である。これらの樹木のもとへ行くのに、驚くほどよく手入れされている小道がある。森の様々な側面についての看板と説明文があるのである。
屋久島では、改めて日本の人々の親切に触れることができた。それは、ほかの訪問地と同じように、私たちを受け入れてくれた友人達が、我々が居心地よく過ごせるようにとできるだけのことをしてくれたからである。幸運なことに、柴氏、星川氏といった、とても特別な人達と会うことができた。彼らは、自分達の島の環境を守るために戦っている。市長候補とも話した。環境地域宣言にとても興味を持っていた。市長になったら、われわれの地域との関係を縮めたいと言っていた。
今はインタグに戻ってきた。日本でどんな教訓を得たのだろう。私たちはそこから何を学びとり、どう活かすことができるだろう。例えば、非常に公平な富の分配、わが国の工業よりもクリーンなテクノロジー、自動車による汚染をよりよくコントロールすること、市民によるより活発な自然保護活動、より効果的でより汚染の少ない交通機関。一方、わが国の政府はもっと教育にお金を費やすことが必要であるということに気づいた。これが、日本が大国と成り得た要因であることは疑う余地もない。
その一方で、無秩序な物質主義が社会に与える影響が、とても顕著であるように思える。それは、日本にいる友人達の大半が心配していることでもある。大半の日本人は、精神的、文化的価値を失ってしまった。外国からもたらされる、たいして価値はなくても最新流行のものを買うだけのためにお金を稼ぎ、そのことに生活を捧げているためである。この物質的豊かさのレベルに到達するためのあわただしい生活のリズムは、人々の心理面に深刻な影響をもたらし、家庭の崩壊やアイデンティティーの崩壊を生みつつある。そうした意味で、我々はまだ消費主義文化よりも利点を持っていると言える。それは、守っていくべき利点であり、コタカチの選択した道は間違っていない。
もうひとつ重要な教訓は、我々の望む発展のかたちについてである。日本が経験した環境的人的災難から、我々もぜひ学びたいものだ。私たちがより理性的に、アイデンティティーを保ちながら、そして人間にとっての豊かさと環境保護とが調和できる道を歩めるように。
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