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フィエスタ・エクアドル


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フィエスタ・エクアドル雑感
辻信一 | 中村隆市 | アンニャ・ライト
カルロス・ソリージャ | ルース=マリーナ・ヴェガ
10/8 メインイベント報告
平和へのメッセージ
カルロス・ソリージャのお話
ルース=マリーナ・ヴェガお話
ベレフについて

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フィエスタ・エクアドル雑感 辻信一

フィエスタ・エクアドルを終えて

 フィエスタ・エクアドルが終わりました。一年前にフィエスタを呼びかけたナマケモノ倶楽部の世話人のひとりとして、この三週間をふりかえって感想を述べてみたいと思います。その前に、実行委員のひとりとして、この集いをともにつくりあげた実行委員会、参加諸団体、ボランティア・スタッフの仲間たち、スポンサー、そして各イベントに参加した方々、寄付や物販に協力してくださった方々に、謹んで感謝します。決り文句を言うようですが、それらの方々の協力があればこそ、フィエスタがありえたのです。ありがとうございました。

 フィエスタの開催を控えた9月11日に米国で同時多発テロが起き、10月8日には米英軍によるアフガニスタン空爆が開始された。10月8日の東京は朝から雨、その雨の中、フィエスタのメインイベントが行われた。まずルース・マリーナ・ヴェガ(以下敬称略)のリードで、「ひとつの手、ひとつのこころ、ひとつの思い・・・」というキチュア語による祈り。ぼくらナマケモノ倶楽部世話人三人が空爆の開始への抗議の意思をこめて声明を発表した。(注)それに続いてアンニャ・ライトとカルロス・ソリージャのリードで「イマジン」を合唱。その日の朝、ナマクラ世話人の中村、ソリージャ、フィエスタ実行委員長の吉岡は、この歌を歌うことを決めていたという。フィエスタを前に中村はこう言っていた。「昨年、エクアドルのインタグで、カルロス・ソリージャとアニャと私は一緒に、私たちの共通の夢を希望で膨らませるために、イマジンを歌いました。その希望の歌、イマジンをアメリカ政府は規制し、敵視しています。私たちは、フィエスタ・エクアドルでも、エクアドルの人々と共に希望の歌を歌い続けましょう」

 アンニャはその後の彼女のツアーでこの歌を歌い続けた。そしてこう訴えたものだ。「私たちが戦争のない世界を想像する力をもつことを恐れる人たちがいる。でも私たちは想像する勇気をもとう。想像から創造が生まれるのだから」。合唱の後、一分間の黙祷。空爆で始まった長い長い一日が終わる頃、参加者はベレフとともに歌い踊っていた。これ以後、フィエスタの間中、ぼくは毎日ベレフと踊った。これまでずいぶんイベントとか会議とかをオーガナイズしてきたぼくだが、こんなに踊ったイベントはなかった。メインイベントの後、踊りつかれたぼくらが控え室でベレフのロレーナの誕生日を祝っている時のこと。ルース・デル・アルバが涙を浮かべながら「アキ・アイ・ムチャ・パス(ここには平和がいっぱい)」と言った。そのことばが、フィエスタの期間中ずっとぼくのこころの中に通奏低音のように響いていた。フィエスタの始まる一週間前に中村はこう言っていた。

 「フィエスタ・エクアドルで来日する人々は、人間だけではなく動物も、植物も、すべての命を大切にしようとしています。また、自分たちの世代だけでなく、未来世代が平和に幸せに暮らしていけるような社会をつくろうとしています。<途上国>での自然破壊型の開発は、人々の生存基盤である環境を破壊し(地球環境の悪化ももたらし)多くの難民を生み出すことにつながっています。 

 フィエスタで来日する人々は、自然の素晴らしさ、重要性をよく知っており、自然破壊型の開発による目先の利益ではなく、子どもたちや未来世代が平和に、幸せに暮らし続けていける社会をつくろうと活動しています。テロや報復戦争など、暴力が前面に現れてきたこの時期に愛と平和と命を大切にする人々が集い、フィエスタ・エクアドルを開催することの意味を、あらためて考え、その意義を感じているところです」(ナマクラMLより)

 フィエスタ・エクアドルはアフガニスタンへの空襲、米国での炭そ菌テロが続く中で繰り広げられた。マスコミにしてみれば、こんな大変な時に「エクアドルどこじゃない」「フィエスタ(お祭り)どこじゃない」ということだったろう。実行委員会の力不足もあって、現に、フィエスタがメジャーなメディアに取り上げられることはなかった。それだけに財政的にも赤字が続いて辛かった。だが、マスコミに乗らなかった分、自前のネットワークやマイナーなメディアの中で、スモールでスローに広がったフィエスタの輪には特別な意味が付け加わったとも、ぼくには思える。つまりそこでは、コミュニケーションの手段や方法そのものがメッセージなのだった。

 ブッシュ大統領が「テロか反テロか」、小泉首相が「正義か悪か」などという子供だましにもならない二者択一を迫り、「世論」なるものもそれに大きく流されていくように見えた物騒な御時世にあって、エクアドルからのゲストたちは改めてぼくたちに平和ということばをその根元から考え直させてくれた。そしてそのことばの周囲にある様々なことばたち。治安、経済成長、軍事的優位、グローバリズム、エネルギー政策。

 ぼくたちはいつの間にか、安全で自由で幸せな生き方があるとすれば、それは経済大国で、軍事大国で、エネルギー大国に住まない限り不可能だ、と思い込まされていたのではないか。まるでその自分の国が、経済と軍事とエネルギーにおいて優位にたつことによってグローバリスムの過酷な競争に勝ち抜いていかない限り、自分の未来はないとでもいうように。文化でさえグローバル化の波に乗り遅れてはならないという強迫観念を、ぼくたちはいつの間にかもたされていたのではないか。エクアドルからのゲストたちは、皆、「安全で自由で幸せな生き方」を保証してくれるはずの経済力も、軍事力もない「貧しい」「遅れた」地域からやってきた。我々のこれまでのものさしで言えば、それは、グローバル化する世界から取り残された哀れな「後進」地域。

 しかし、彼らがフィエスタ・エクアドルで明らかにしたのは、彼らがもうすでに開発やグローバリズムによって「先進国」を追いかけるレースから下りてしまっており、それにかわる「もうひとつの」ヴィジョンを育み始めているということ。我々が想像したこともないような豊かな生物多様性と文化多様性を、開発なるものによって壊したり、目先の利益や経済成長のために売り払ったりするのではなく、むしろそれらを守り、またそれらに守られることによって可能になる「安全で自由で幸せな生き方」を選ぶということ。我々が迎えたゲストたちは、世界各地に源をもつこうした新しいヴィジョンを、エクアドルで描き、実現するリーダーたちだった。そして彼らはその新しいコミュニティと地域のモデルをコタカチに、バイーアに、サン・ロレンソに、オルメドに創り出しつつある。

 それがカルロス・ソリージャの新しい夢。彼は言った、「これまでの夢が悪夢と化した今、それにかわる夢が求められている」と。ルース・マリーナ・ヴェガはこれまでの経済(economia)にかわる新しい経済(ecosimia)のヴィジョンを提起した。宗教のように我々を呪縛してきた経済が自然や文化の自己否定(economiaということばに含まれているno)の上に成り立っていたのに対して、新しい経済は肯定のsi(yes)の上に成り立つだろう、と。

 「グローバル化する文化」とか主流のメディアにのった「文化」に慣らされた者の五感をベレフやパパ・ロンコンは解放してくれた。それまで抽象的な概念でしかなかった「自然と文化の融合」が、そこでは具体的で身体的なものとして、溢れるような豊かさとして、ぼくたちを圧倒した。

 ルース・マリーナの残していったお話を紹介して、ぼくの感想を終わろう。「ある時、アマゾンの森が燃えていた。大きくて強い動物たちは我先にと逃げていった。しかしクリキンディ(金の鳥)と呼ばれるハチドリだけは、口ばしに一滴ずつ水を含んでは、何度も何度も飛んでいっては燃えている森の上に落とした。それを見て大きくて強い動物たちはクリキンディを馬鹿にして笑った。「そんなことをして森の火が消えるとでも思っているのか」。それに答えてクリキンディは言った。「私は、私にできることをやっているの」クリキンディはエクアドル、そしてエクアドルで闘っている仲間たち。ぼくたちもクリキンディでありたい。

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フィエスタ・エクアドル雑感 中村隆市

フィエスタ・エクアドルを終えて

 10月6日から約二週間にわたるフィエスタ・エクアドルが、大きな成果を得て、無事に終了しました。フィエスタに参加して下さった皆さん、ボランティアとして関わって下さった皆さん、さまざまな形で支援して下さった皆さん、そして、一年前からフィエスタを準備し、最後までやり遂げてくれた実行委員の皆さんに、感謝したいと思います。最高のゲストとスタッフと、ほんとに素晴らしいフィエスタでした。

 いずれ、ナマクラ関係者が全体でまとめた報告ができるでしょうが、今回はフィエスタを終えた「雑感」を世話人からお伝えします。

 辻さんが全体のことを書いてくれると思うので、私は、関東のあと九州、屋久島を一緒に旅したルースマリーナとカルロス・ソリージャのことを少しだけ報告させていただきます。(じつは半月間、ゲストと同行している留守中にたまった仕事に追われています)

 もともと私が、有機コーヒーの生産者であるカルロスを日本に招待したいと思ったのは、次のような理由からだった。彼らが住むインタグ地方の森林(世界屈指の生物多様性を誇る貴重な森林であり、生物の種を絶滅から守るために重要な森林)を守るために、森林と共生できる有機コーヒー栽培運動が始まり、その取り組みを支え広めるために、二年前からコーヒーの輸入(フェアトレード)を始めた。このコーヒーは、農薬も化学肥料も使用していない有機コーヒーであるにもかかわらず有機栽培の認証を得ていない(認証費用や手続きが小農民にとって大変難しい)ことと、現在、暴落している国際コーヒー相場の約三倍で購入しているために、日本国内での販売に苦戦しており、カルロスらを日本に招待することで、何とか販売先を広げていきたい、との思いがあったからだ。

 また、インタグのあるコタカチ郡での草の根民主主義の素晴らしさを多くの日本人に知ってほしいし、その草の根民主主義から「環境保全自治体宣言」が生まれたことも知ってほしかった。

 関東でのフォーラム、フェスティバルなどを終えた二人は、福岡で三カ所、熊本、水俣、鹿児島、屋久島をまわって報告会や交流会を開いた。福岡では副知事と環境問題について対談し、水俣では漁師であり水俣病患者でもある緒方正人さんに「水俣病展」を案内していただき、写真や映像などを見ながら詳しい解説をしていただいた。二人とも水俣には大きな関心を抱き、エクアドルで報告するために本をたくさん買い求めていた。ビデオは英語版がなかったため、水俣病展の実行委員長である栗原彬さんが後日届けて下さった。

 インタグでは金山開発の問題も発生しており、金を採るために使用される水銀が水俣病の原因物質であるので、これらの本やビデオは金山開発をくい止めるための強力な武器になるだろう。

 鹿児島の出水では、緑あふれる山村の稲刈り現場を訪問することから交流が始まった。

 将来、エコヴィレッジを作りたいと考えている教員や農民がエクアドルの取り組みから学びたいとのことで、農業や農村の暮らしに密着した話題も多かった。ここで面白いことがわかった。カルロスが自然農法で有名な福岡正信のことにやけに詳しいので、私が「老子が好き?」と聞くと、驚きの答えが返ってきた。われわれナマクラの先輩とも言える老子を彼は「20年間研究していて、いつも枕元に老子の本を置いている」というのだ。なるほど、この人とは初めて出会った時から、他人とは思えなかったはずだ。

 10月8日のフィエスタ・メーンイベントの日の早朝、米英軍によるアフガニスタン空爆の開始を知って肩を落としていた彼は、しばらくして私に「今日のイベントの最初に、皆で『イマジン』を歌いたい」と言った。平和の人、老子とジョン・レノンはカルロスの中ではつながっている。

 世界遺産の屋久島では、作家の星川淳さんが中心となって、「ゼロエミッションを実現する屋久島会議」と「有機マンゴー生産者グループ」との交流を深めた。世界でも屈指の雨量を誇る水の島で、美しい川を上流にのぼる屋形船で開かれた交流会はファンタジーな世界を生み出していた。屋久島の「やく」という言葉の語源を尋ねたら、いろんな説があり、確かなことは屋久島の人にも分からない。その時、ルースマリーナが「キチュア語で『やく』は『水』を意味している」と教えてくれた。何故だか一同は、この話に不思議な感動を覚えていた。

 有機マンゴー生産者グループは、カルロスが持参したインタグコーヒーの種を屋久島で栽培してみることを決定した。このコーヒーがうまく育ったら、エクアドルのインタグコーヒーとブレンドして、エコヴィレッジ・ブレンドコーヒーとして屋久島特産として売り出すことになっている。

 九州で水俣病の実態と屋久島の森林(世界遺産)の素晴らしさの両面を見て、彼らは、自分たちがやっている方向に間違えはないという思いを深めたという。彼らが望んでいる「発展」とは、経済偏重ではなく、人間の生活の質や人間性を高める、心の豊かさを高めるということだという。

 「草の根民主主義」の柱である「民衆議会」は誰でも自由に参加できる会議であり、住民運動のリーダーであるカルロス・ソリージャを郡の環境保護委員長に選ぶことを見ても「素晴らしいなあ」と思っていたが、私が知らなかった重大なことがもう一つわかった。それは、この会議には年齢制限がなく、小学生も民衆議会に参加し、大人と同じ権利(投票権、発言権など)をすべて持っているということだ。大人が600人で子どもが300人も参加している。このことはとても重要なことなので、後日詳しく報告したい。

 報告の最後に、アルカマリ(ルースマリーナのキチュア名)が教えてくれたキチュアの伝説をお伝えしたい。

 「アマゾンの森が燃えていた。すべての動物たちは、大急ぎで逃げていった。特に大きな強い動物たちは、真っ先に逃げていった。私たちにとって重要な鳥であるクリキンリ(金の鳥)というハチドリの一種は、くちばしに水滴を一滴とって燃えている森に行き、その森に水滴を落とす。そして、また戻ってきては、水滴を持っていく。それを見て、大きな動物たちは、『そんなことをして、火を消すことができるものか』とクリキンリを馬鹿にした。それに対してクリキンリは、『私は、私にできることをしているの』と答えた。」

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フィエスタ・エクアドル雑感 アンニャ・ライト

友人たちへ

 待っていてくれた人にはお待ちかね、やっと近況報告ができます!アンニャとパチャはオーストラリアと日本の3ヶ月にわたる長逗留をおえ、いつものプロジェクトと生活を続行させるためにエクアドル、コタカチにもどりました。相変わらず移動中はメールでの連絡がいつも以上に困難で、連絡が途絶えてすみませんでした。

 旅は順調でした。オーストラリアでは友人や家族やいろいろなつながりのある人たちと再会し、それから日本のフィエスタ・エクアドルに参加しました。熱帯雨林情報センター(RIC)のみんなに再会して、来年の計画について話し合うことができたのは本当によかった。ジョンとルスはディープエコロジーの旅を続けたり、生物多様性についての会議に出席したりしながら、(エクアドルを含む)世界中のたくさんのプロジェクトを支援し続けています。

 RICにはよく繁った美しいパーマカルチャーの庭園があって、仕事への創造性とエネルギーを見つめ直すのを助けてくれます。オーストラリアにはもうひとつ美しい庭園がバイロン・ベイのSeedsaversにあります。私はミシェルとジュードに会って、エクアドルにもっとたくさんのボランティアを受け入れられるようにする計画(できれば2002年4月から)を含め、彼らの2002年の南米訪問計画など、いろいろな計画について話し合いました。

 10月には私のパートナー、マルセロとパチャ、私の三人で日本のフィエスタ・エクアドルに参加する事ができて大変幸せでした。これはエクアドルの生物的、文化的多様性について、日本の人たちにもっと広く知ってもらうために、高度なマルチメディアを上手に駆使して開催された一連のイベントでした。コタカチ、インタグ、それから海岸線のサン・ロレンツオ、バイア・デ・カラケスを代表して17名のメンバーがエクアドルから来日しました。私たちは南は福岡から北は山形まで、全部で20のイベントに参加しながらたくさんの場所を旅しました。

 マリンバと私の新曲数曲を組み合わせた新しいCDも販売され、費用捻出に一役買いました(CDが欲しい人、フィエスタ・エクアドルについてもっと知りたい人は日本のナマケモノ倶楽部まで)。

 フィエスタ・エクアドルのおかげで、フェア・トレードやエコ・ツーリズムそして音楽といった分野で日本とエクアドルの絆を深めてくれる新しい出会いや可能性にたくさんで出会うことができました。中でもとりわけ重要なのは「発展」という言葉の新しい定義や持続可能な未来についての理論付けの試みを更に新しく、強化することができたことです。

 赤ちゃんのパチャとのマラソン世界横断旅行を終えて、11月にコタカチの本拠地に帰還、3ヶ月の不在中に山となった事物を前にして、二度と留守にはしないと誓ったのです(少なくともその後の一週間は!)!

 最近の世界の出来事はエクアドルという国での生活には直接の関係はないようです−そして私に関しては、私がたとえどこにいようと、できるだけ早く、エコロジカルで社会的に公正な発展のモデルをうち立てるという私の使命を再度確認したのです!
私の留守中はどうやらほとんど雨は降らなかったようで、頑丈なハーブ類といつも実をつけているアヴォガド以外はしおれて殆どひからびていました。少なくとも新しく野菜の種まき準備のための草取りは簡単にできました。

 レイチェル(オーストラリア出身)の手助けと雨期の最初の一降りのおかげで、畑は今や新しい芽で一杯です。すぐに、訪問者に野菜と、そしてインスピレーションを供給してくれるようになるでしょう。センターは、センター(とカフェ)を長期に渡って喜んで手伝ってくれる献身的なボランティアが見つかるまでは、依頼のあったときだけ(学生たちや環境保護委員会のメンバーなどによる)開くつもりです。だれか、手伝ってくれる人がいたら、知らせてください!

 私たちは、私たちが環境保護の取り組み(下に述べる会議もそうです)について緊密に協力しながら活動しているコタカチ環境保護委員会に、私たちのコンピューターのうちの一台と電話を寄付しました。

 インタグのエル・ミラグロ−インタグの統合的エコロジープロジェクトにつけられた名前ですが−は上手く進んでいます。エコロジカル・ハウスはいまやほぼ完成(あとは水道管をつけるだけです)、そして丸い草葺き小屋にあるすてきなソーラー・シャワーもほぼ完成です。

 500本のコーヒー樹の殆どが、極度に乾燥した夏を乗り切って生き残り、パーマカルチャーの畑は家の周りでさらに広がっています。次の大きな仕事は雨期の間になるべく多くの原生の種類の木と果樹を植えることです。この意味でも、自然と共に生きる実際的な経験をしてみたい、また、容易にまねのできる持続可能な生活をつくってみたいというボランティア大歓迎です。

 バイア・デ・カラケスのセロ・セコ保護区に8月に最初のボランティアたちがやってきました。乾期であったにも関わらず、畑仕事をたくさんしてくれ、また地元のコミュニティも交えて、環境教育活動も行われました。

 サン・ロレンツオ・パーマカルチャーセンターは、いまだに長期のボランティアがいない、資金が足りないなどの悩みを抱えていますが、過去2年の間に成し遂げてきた活動が、将来へのよい足がかりとなるでしょう。今年9月には日本からの20名の大学生が滞在し、そこで得た経験を様々なよい形でフィードバックさせています。

 ロス・セドロス保護区ではたくさんのボランティアがパーマカルチャーの畑でバリバリ仕事をしています。そして、CIBTのメンバーが金鉱山の計画されている地域でオルタナティヴな発展方法をすすめることに積極的に取り組んでいます。

 そして、これからは?パチャの世話(今9ヶ月でハイハイと立とうとしている)、私の愛する娘が眠っている貴重な時間に今進んでいるすべてのプロジェクトをチェックし、いくつかの新しいプロジェクトを進めること!新しいプロジェクトには2002年9月に大規模な代替的開発に関する会議と国際有機コーヒー会議を開催すること、タンバコ農場(サン・ロレンツオのそばの湿地で、マングローブやナマケモノ保護区がある)のパーマカルチャーとエコ・ツーリズムの取り組みをコーディネートすること、コタカチでの種子銀行のプロジェクトを拡大し、整理することなどがあります。

 私たちは特にコタカチと海岸線のバイア(このどちらもエクアドルでは生態系保護地区の宣言をしています)での会議への支援をお願いしています。このイベントはエクアドルにとって大変重要な機会であり、すでに日本からたくさんの出席が計画されているし、地方政府やコタカチ民衆総会の協力もきまっています。

 もしあなたが、このイベントに関し、情報をネットワーク化したり、資金援助をしてくれる可能性のあるところを知っていたり、その他、どんな方法でも支援してくれる人はしらせてください。それからあなたがどのプロジェクトでもさらに情報が欲しい場合も連絡下さい(それかナマケモノクラブかRICのホームページを見てください)。そしていつか必ず(そして何度でも!)美しく、インスピレーションの宝庫であるエクアドルに来てください!フィエスタ・エクアドルを支援してくれたみなさん、ありがとう。フィエスタがあなたたちみんなにパワーを与えてくれたことを願っています。

みんなが元気で幸せでありますように。連絡とりあいましょう。

生命のために、アンニャ

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フィエスタ・エクアドル雑感 カルロス・ソリージャ

あるインタグ人が見た日本

 日本への旅について書くのは、ちょっと難しい。ほとんどすべての面において、私たちの国とは違って見えた。しかし、試みるに価する様々なことを学んだ。

 10月2日から23日までの旅であった。ナマケモノ倶楽部、日本ブラジルネットワーク、そして何よりも、AACRIからコーヒーを購入しているケイボー、中村隆市両氏の個人的な働きのおかげである。彼らの支援するエクアドルでのプロジェクトへの関心を高めるため、そしてエクアドルの文化や生物多様性についてよりよく知ってもらうために彼らはフィエスタ・エクアドルを催した。もうひとつの目的は、インタグのコーヒーのことと、我々の環境を守るための戦いのことをより広く知らせることであった。この旅は、経済学者アウキ・ティトゥアニャの妻ルス・マリナ・デ・ラ・ベガ医師、バイア・デ・カラケスのマルセロ・ルケ氏、アニャ・ライトさん、そしてサンロレンソの音楽とダンスのグループ、ベレフと一緒であった。

 ルス・マリナ医師とわたしは、講演会の講師をすることに力を注いだ。より民主的な社会づくりに取り組んでいるわたしたちの地域のことと、持続可能な発展を構築するための努力を知ってもらい、そのプロセスにおいて必要な支援を募るためである。持続可能な発展とは、環境を傷つけることのない方法で天然の資源を利用し、保護すること。それは、環境のためであり、未来の世代を守ることである。貨幣を使わないオルタナティブな商業システム、地域通貨(Sintral)についてはベガ医師が述べ、非常に興味を集めた。友人であるナマケモノ倶楽部のメンバーは、少々私達を働かせ過ぎた。18日間の内に10の地域において全部で14の講演や交流会を行った。それぞれの地域は、1000万の人口を持つ首都東京から、アプエラよりも小さな村まで、様々であった。

 この旅は、私にとって非常に重要で、感動的であった。世界で一番「発展した」社会のうちのひとつを体験することができた(少なくとも、物質的豊かさという点で「発展」している)。しかし、わたしにとって最も重要だったのは、様々な人達と知り合い、対話できたことである。環境活動家、企業家、大学生、大学教授、政治家、主婦、農業従事者。日本の人達の親切と人の良さに触れたことは、わたしにとって大きなインパクトであった。それは、一部には非常に高い教育レベルによるものであることは、間違いないであろう。(例えば、読み書きのできない人は一人もいない。人口の50%以上が、大学教育を受けているのである。)その生活水準の高さには、とても感激した。わたしたちが訪れた7以上の市町村では、貧しい人々を見かけることがなかったのである。

 私たちが行った場所が特別だったわけではない。東京へも行ったし、福岡のように、キトと同じ人口を持つが小さいと言われる都市へも行った。小さな村へも行ったし、2日間は農村の米生産者のところでも過ごすこともできた。

 たった30%エクアドルよりも大きいだけのところに一億二千万人が住み、エクアドルと同じように山の多いこの国では、ほぼ全ての山で保護措置がとられている。物質的にこれほど豊かなこの国で、70%の土地が森に覆われたままで保たれているというのだ。これも、皆が感動したことのひとつである。特別な許可なしに日本で木を切ることは、まず不可能だ。しかしもっとつっこんで見てみると、この保護は、一方でほかの国々の森に影響することによって成し遂げられてきたのである。

 ほかにも私たち皆を感激させたのは、それぞれのイベントの成功を支えた若いボランティア達の非常な働きぶりである。その支えがなければ、このイベントは実現できなかったであろう。交通機関には、皆開いた口がふさがらなかった。毎日、何千もの電車・地下鉄が電力を消費しながら何百万もの人々を移送する。都市中心部の電車サービスは、止まることなく続き、1つの電車に乗るのに5分と待つ必要はなかった。効果的なバスサービスもある。汚染を減らすためにタクシーはガソリンのかわりにガスを使っている。どこにでも自転車を見かけるし、自転車のためのパーキングエリアまであった。

 全体として、これらやその他の環境のための措置によって、大きな都市ではエクアドルの都市部よりもずいぶん汚染が減らされている。少なくともわたしの見た限りでは、市民、地方自治体、政府が、我が国よりもずっと環境に気を配っている。

発展の高い代償−
 すべての人々への教訓人生においてただのものなどない。これはよく知られたことわざである。この大国によって成し遂げられた物質的発展には、とても高いコストを伴った。日本の環境と社会への影響という直接的なコストのほかにも、もう少し突き詰めて分析してみよう。日本の発展のために特に木材、金属、エネルギー(石油)といった資源が費やされたことは、他国の環境や社会に大きな影響を与えることとなった。これは、主に天然資源の過剰消費の上に成り立つライフスタイルによるものである(通りで古い車を見かけることがない、という例を引き合いに出せよう)。日本はその資源の大部分を輸入しなくてはならないため、環境への影響が資源の採掘の影響を被るほかの国々へと移行している。

 “先進国”の中で日本だけが発展途上国の天然資源に頼っているわけではない。この依存は、工業化した大部分の国においてごく一般的なことである(例えば、アメリカ合衆国は膨大な量の石油を輸入しているため、エクアドルやその他の国々の環境破壊を引き起こしている。)

水俣―忘れ得ぬ経験
 幸運なことに(しかし喜ばしいことではなく)、日本の“発展”による高いコストの例に直接触れることができた。世界でもよく知られた環境の悲劇が起こった地である水俣で、わたしたちは忘れられない数時間を過ごした。わたし達がこの小さな町を訪れたのは、偶然にも水銀による公害についての第6回目の会議が行われていた時であった。

 その中には、水俣で起こった人的、環境学的災難についての展示もあった。その展示の説明を緒方氏にしていただくという光栄に恵まれた。緒方氏は、この悲劇の責任者である政府と会社を相手取っての裁判を実現させるため、戦いの先頭に立っている指導者のひとりである。この悲劇は彼の多くの親類にも影響を及ぼした。

 1900年代初期、日本はすべてを費やして工業、経済面での“発展”を追い求めていた。工業的発展は、日本の政治家にとって聖なるものであり、国民の大部分から受け入れられた神話であった。工業は、政府による全面的な支援を受けていた。やる気のある人達には工業化への青信号が点り、申し訳なく思うこともなく、人命を大切にすることもなしに汚染がすすんだ。このような精神状態が、化学製品工業と窒素肥料を水俣に定着させ、水俣湾を水銀で汚染させることになった。この湾は、現在でもそうだが、地域の人々の食生活にとって重要な海産物の源であった。そのため、徐々に水俣に住む者達−何千もの人々、犬、猫、鳥までも−が中毒となっていった。皆この湾から取れる魚や魚介類を食べていたためである。

 わたしにとって、日本滞在で最も心を揺さぶられたのは、水俣で過ごした時間であり、緒方氏との対話であった。彼は展示してある写真を用いて、水銀が生物にどのような打撃を与えたのかを説明してくれた。身体障害者となり、人間らしさを奪われ、食べることもできず、歩くこともできず、知恵遅れとなり、完全に姿を変えられた植物人間といわれる人々。緒方氏は、現在水俣病とよばれるこの破壊的な病気によって、どれだけ家族が荒廃させられたかを話してくれた。すべては、水銀によるものであり、人間の「欲」という病気によるものである。

 また、被害者とその家族に報いるために、汚染を引き起こした会社への要求に取り組んだ勇敢な人々の戦いについても多くの展示があった。彼らは、病気の原因がその会社にあるとの疑いをかけた。そこから、この物語のもうひとつの悲しい章が始まったのである。どれだけ政治家が国民ではなく会社を擁護していたか、それをビデオやレポートが証明していた。会社も政府も、汚染の原因が会社の廃棄した水銀にある、ということを証明する情報を隠していた。これによって汚染は悪化し、言葉では言い表せないほどのさらなる悲劇が人々に降りかかることとなった。

 何年もの困難な戦いの後に、市民社会はこの汚染を食い止めることができたものの、戦いはまだ続いている。緒方氏とその同僚達は、被害者全員への正当な補償を求めており、また、地震やそのほかの自然災害によって湾が氾濫を起こした場合に、修復作業に取り組む労働者が打撃を受ける危険性を憂慮している。この地域の復興のために日本政府は、特にこのような工業プロジェクトにいつも伴うコスト、もっと言えば鉱業プロジェクトに何百万ドルものお金を投資しなければならなかった。そのコストとは、たいてい地域の人々の命と、国民の税金によって支払われるものなのだ。
水俣の後、足尾へ行った。そこでは、銅山開発によって何千ヘクタールもの森が破壊され、住民は立ち退きを余儀なくされた。川は有毒物質に汚染され、それを感慨農業用水として利用していた水稲生産者達が打撃を受けた。当然のごとく、汚染した米は何千もの消費者の健康をも損ねることとなった。その被害はすさまじく、銅山閉鎖後10年を経た今日でも把握できていないほどである。

 この機会に、足尾の環境被害についての、そして鉱山によって強制退去を強いられた人々のことを忘れないための会議を開いた日本の研究者グループの人達に招待された。複数の科学者、政治家、市民活動家が、鉱山による環境面と社会面への様々な影響について述べた。

 私には、インタグにおける日本企業三菱による鉱山開発の失敗と、これらのプロジェクトを止めるための我々の取り組みについて話してほしい、とのことであった。その発表の後、複数の研究者らが、私たちの地域での戦いを支援すると申し出てくれた。足尾のケースよりもひどい影響が引き起こされることをくい止めるために。

 足尾での数日の間で、工業生産や少数の個人に利益をもたらすために、どれだけ自然や住民の人権がくり返し奪われてきたかを確信することができた。加工工場による汚染は非常に毒性が高かったため、足尾周辺の森を数キロメートルに渡って破壊した。今日に至っても、生気のない山腹が目につき、それを政府がとても高い費用をかけて修復しようとしている。足尾の住民は、破壊された場所の一部をそのままの姿でとっておいた。それは、環境教育のための一例として、銅山開発が自然を破壊した様子を示す一種のモニュメントの役割としてのものである。あまりに有害であったため、鉱山閉鎖から30年以上が経とうとも、いくつかの小川は汚染されたままである。

 もうひとつ印象的だったのは、足尾の寺を管理している仏教の僧とのちょっとした出会いであった。我々は視察の一部としてそこへ立ち寄った。その僧はあいさつをしに出てきてくれ、足尾銅山によって引き起こされた環境問題と社会問題に関する、彼の見解を話してくれた。学生グループが次々にそこを訪れ、僧はその学生達に自然、特に森を大切にすることの重要性や、木が人間の精神面の健康に果たす重要な役割について説明するのだという。彼は足尾における銅山会社の引き起こした大きな破壊をとても憂いていた。最後に、通訳を介して言葉を交わし会うことができた。彼の偉業への感謝の気持ちを伝え、我々の住む地域で目指していることを少しだけお話しした。思ってもみなかったほどの彼の親切を、うれしく思った。そして、彼の寺と足尾の環境問題についてのビデオをプレゼントしてくれた。(スペイン語訳ができ次第、地域と教育機関で自由に使えるようになるだろう。)

 足尾、水俣訪問に加えて、ルス・マリナ・デ・ラ・ベガ夫人と中村氏、それにわれわれの有能な通訳者で日系ブラジル人のクラウジオと共に、そのコインの裏面を見ることができた。その太古からの森と偉大で美しい自然により、世界遺産にも指定されている屋久島である。

 屋久島は国の南の方にある。自然を破壊せずに、賢く天然資源を活かしながら発展するのは可能である、ということを示してくれている。屋久島は、エコツーリズムと手工芸品、漁業によって成り立っており、わたしには、日本で見た中でそこの住民が一番よい暮らしをしているように見えた。

 この山がちな島は、約90%が天然の密林に覆われていて、多くの生物の中でも猿と鹿が多く生息している。猿の生息数は多く、またよく保護されている。猿が道で遊んでいるのにしょっちゅう出くわす。車や人を怖がらないため、道を運転するときには注意を払う必要がある。しかし、一番魅力的だったのは、樹齢3000年以上の巨大な杉である。これらの樹木のもとへ行くのに、驚くほどよく手入れされている小道がある。森の様々な側面についての看板と説明文があるのである。

 屋久島では、改めて日本の人々の親切に触れることができた。それは、ほかの訪問地と同じように、私たちを受け入れてくれた友人達が、我々が居心地よく過ごせるようにとできるだけのことをしてくれたからである。幸運なことに、柴氏、星川氏といった、とても特別な人達と会うことができた。彼らは、自分達の島の環境を守るために戦っている。市長候補とも話した。環境地域宣言にとても興味を持っていた。市長になったら、われわれの地域との関係を縮めたいと言っていた。

 今はインタグに戻ってきた。日本でどんな教訓を得たのだろう。私たちはそこから何を学びとり、どう活かすことができるだろう。例えば、非常に公平な富の分配、わが国の工業よりもクリーンなテクノロジー、自動車による汚染をよりよくコントロールすること、市民によるより活発な自然保護活動、より効果的でより汚染の少ない交通機関。一方、わが国の政府はもっと教育にお金を費やすことが必要であるということに気づいた。これが、日本が大国と成り得た要因であることは疑う余地もない。
その一方で、無秩序な物質主義が社会に与える影響が、とても顕著であるように思える。それは、日本にいる友人達の大半が心配していることでもある。大半の日本人は、精神的、文化的価値を失ってしまった。外国からもたらされる、たいして価値はなくても最新流行のものを買うだけのためにお金を稼ぎ、そのことに生活を捧げているためである。この物質的豊かさのレベルに到達するためのあわただしい生活のリズムは、人々の心理面に深刻な影響をもたらし、家庭の崩壊やアイデンティティーの崩壊を生みつつある。そうした意味で、我々はまだ消費主義文化よりも利点を持っていると言える。それは、守っていくべき利点であり、コタカチの選択した道は間違っていない。

 もうひとつ重要な教訓は、我々の望む発展のかたちについてである。日本が経験した環境的人的災難から、我々もぜひ学びたいものだ。私たちがより理性的に、アイデンティティーを保ちながら、そして人間にとっての豊かさと環境保護とが調和できる道を歩めるように。

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フィエスタ・エクアドル雑感 ルース=マリーナ・ヴェガ

 パチャママのすべての良いエネルギーを受けて、あなた達が健康でいること、そして、より連帯した世界をつくるために励んでいることと思います。こちらでは、この国をより人間的な国にするために、最大の努力を続けているところです。

 米国の問題によるわたしたちへの影響は日増しに強くなっています。ドル化は行われるべきではなかった、最たるものです。しかし、コタカチでは、問題に立ち向かう方法を知っています。考える頭もあるし、働くことのできる手もある。いかなる時も、堂々と生きていくことができるでしょう。

 さて、今日、地方議会との会議を持ちました。発展と管理についての会議で、観光、生産、教育など、すべての委員が参加しました。国際会議実現のため、皆が熱意をもって支えてくれるでしょう。

 イベント全体についての提案を私たちに送ってもらえませんか?そこから、私たちからの提案をし、国際会議に必要ないろいろなものを備えていきましょう。

 皆さんをすべての愛情をもって受け入れたい、と心から思っています。もう一度、すべての心配りに対して、お礼をのべたいと思います。日本の人達はとても文化的で、おおいにアイデンティティーを持っています。私たち全員に与えてくれたすべての愛情に、感動しました。自分の家のように感じたのは、キューバ人と日本人との時だけなのです、本当に。

 アウキと、コタカチの家族全員から、あいさつを送ります。リクリンガパク(地球のどこにいても、私たちは出会うことができます)たくさんの愛情をこめて。

アルカマリ

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10/8 メインイベント報告

10/8 フィエスタ・メインイベント「海と森のフェスティバル」報告(辻信一)

 フィエスタ・エクアドルのただなかから、皆さんこんにちわ。昨日9日にはアンニャ、マルセロ、カルロス、ルース・マリーナ、中村隆市、クラウジオの一行が九州へ。後に残ったベレフを明治学院大学横浜校舎にお呼びして、学生たちと楽しい時を過ごしました。夜は府中のカフェスローでサルサ=マリンバ・パーティ。ヘルマン・エスピノーサさんやペペさんも参加してくれ、おおいにもりあがりました。

 今日は、ぼくは仕事で職場にいますが、今頃、農工大でコンサート、交流会をやっているはず。それにしても、8日のメーンイベントは、ぼくには特に感慨深い時間となりました。その日は、米英軍によるアフガニスタン空爆で始まりました。ナマクラ世話人の中村さんとゲストのカルロス・ソリージャはその朝、フィエスタ実行委員長の吉岡さん宅に泊まっており、ニュースを「戦争開始」の悲報を聞きながら語り合ったそうです。

 そして、午後から始まるイベントの最初に、みんなでジョン・レノンの「イマジン」を歌おうと決めた。

 2時からの予定だったイベントは三十分以上遅れて開始。まず、ルース・マリーナ.ヴェガさんのリードでキチュア語のパチャママ(母なる大地)へのお祈り。次に、ナマケモノ倶楽部世話人からの声明文。直前にアンニャが下書きしてくれ、我々三人で決めました。英語のまま下にのせます。その後、アンニャとカルロスさんのリードで「イマジン」を合唱。9月11日の事件の後、米国で歌うことを「自粛」すべきだとされたあの歌です。そして、黙祷。エクアドルからのゲストと一緒に、しかし、ひとりひとりが自分の仕方で、戦争のない、暴力のない世界を想像しました。

 皆さん、フィエスタ・エクアドルはアフガニスタンへの空襲が続く中で、ますます暴力のエスカレートする世界の中で続いていきます。8日のイベントのコンサートの最後にみんなで踊ったあとの心地よい疲れの中で、ルース・デル・アルバが「ムーチャ・パス・アキ」(ここは平和がいっぱい)と叫んだことを忘れまい。

ブース展示風景
ブース展示風景

 ぼくらのイベントはどれも小さなものです。大きなメディアにのるわけでもない。小さな国の小さな村や町から来たゲストたちの、しかしとてつもなく大きなハート、ずっしりと重いメッセージを、ぼくたちが自分でなんとか受け止めて、少しずつゆっくりと周囲へと伝えていくしかありません。これからのひとつひとつのイベントのひとつひとつの出会いを大事にしましょうね。

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平和へのメッセージ

フィエスタ・エクアドルから、平和へのメッセージ
(この声明は2001年10月8日、米英軍によるアフガニスタン空爆の始まった日に、「フィエスタ・エクアドル」の東京会場で読みあげられた)

 また新たな「戦争」が始まった。これが最後の戦争になるかもしれない。それは不正に満ちた世界から生まれた争い。思えば私たちの近代文明は長い間、母なる大地に対して、先住民族に対して、そしてお互い同士に対して戦争をしかけてきた。今回のは、そんな一連の争いの新しい顔。

 私たちにとって今、何にもまして必要なこと。それは自分のこころの奥深くに、いっぱいの愛と勇気を見出すこと。そしてその愛と勇気をもって、新しい平和で持続可能な社会のモデルをつくり出すために、今なおこの世に辛うじて残された生命と文化の多様性という遺産を守るために、行動すること。

 でも一体どこにそんな強さを、勇気を探し出すことができるだろう? 答えはきっとあなたのこころの奥にあるはず。私たちはよく知っている。ひとつ、暴力が平和を、愛を生み出すことは決してないということ、を。ふたつ、私はひとりではない、ということ。この怒り、悲しみ、そして平和を愛する気持ちは私ひとりのものではないということ、を。みっつ、私たちは偉大なパチャママ(母なる大地)とともにあるということ。パチャママが私たちひとりひとりを、その無限の美とエネルギーをもって育んでくれるということ、を。

Love, Peace and Life,
2001年10月8日  
ナマケモノ倶楽部世話人(アンニャ・ライト、中村隆市、辻信一)
( 原文は英文。翻訳協力、きむら理眞)


(英語原文)
Another war has started. It may be the last war on Earth. It is a war born from an unjust world; a new face of a long battle that modern humans have waged against the Earth, indigenous peoples and each other.

And now we need so desperately to find in our hearts enough compassion and enough commitment to actively create peace, and actively build new models of society and passionately defend the last vestiges of human- and bio-diversity.

And how to find this strength? Be sure in what we know deep in our hearts; that violence can never bring peace; that we are not alone in our anger, sadness and love of peace; and that the power of Mother Earth, Pacha Mama gives boundless energy and beauty to nurture us as we continue to evolve...

October 8, 2001, at Fiesta Ecuador, in Tokyo, Japan
Anja Light
Ryuichi Nakamura
Keibo Oiwa

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カルロス・ソリージャのお話



カルロス・ソリージャ(中央)

10/17「環境を考える経済人の会21」会合より: 
「エクアドル発・緑の未来を目指す革新的政治モデル

 おはようございます。お忙しいところお集まりいただきありがとうございます。ま
た、こうした機会をつくってくれた大谷ゆみこさんにも感謝いたします。

 私がエクアドルを発つ前に、私の10歳の息子マルティンから「日本に行くならこれを言ってくれ」ということを託されました。それは「将来への不安」です。われわれが人間としてどのような悪さをしてきたかということを息子なりに理解し、それを日本で発表してきてくれというのです。息子はまだ小さいので、なぜ環境破壊が行われているのか、なぜ人間関係が悪くなってきているのかということは、多分はっきりとはわからないと思います。しかし、われわれ大人は、その理由を少しずつ分かりはじめている中で、どのようにその問題を解決していくのかということを勉強しなければなりません。みなさんもそういうことで集まられているのだと思います。

 ここで少し、エクアドルでの自然破壊の現状についてお話したいと思います。エクアドルは非常に生物の多様性に富んだ国です。それは、さまざまな気温、標高、さまざまな生態系がエクアドルに生きているからです。生物の多様性だけではなく、文化の多様性もまた豊かなところです。エクアドルは日本の7割ほどの面積ですが、鳥や植物の種類は日本の3倍です。私が20年以上も住んでいるインタグ村も生物種が多く、ホットスポットが二つインタグにあります。一つは熱帯乾燥林、もう一つは雲霧林です。私の住んでいるところは500haありますが、そこに生息するハチドリとランの種類がアメリカとカナダをあわせた種類より多いのです。コタカチは標高差が300m〜4,900mまであり、エクアドルの中でも特に生物の多様性に富んだところです。

 またインタグ村は「多民族の地区」とも言われています。いくつかの先住民族、黒人、ミスティーソ、アフロ・エパトリアン(アフリカ系エクアドル人)という人たちもインタグで生活しています。

 その多民族多文化のインタグ村が今、危機にさらされています。農業だけではなく、人間と自然のバランスが悪くなり、自然破壊が進んでいます。環境が破壊されたのは、発展の意味が間違っていたからです。例えば、数年前に環境破壊プロジェクトともいうべき、鉱山開発がありました。これはグローバリゼーションが引き起こした問題ともいわれています。グローバリゼーションのモデルはいい点もありますが、こうした鉱山開発のプロジェクトは環境に非常に悪かったのです。

 外国政府や外国企業だけでなく、われわれの政府もグローバリゼーションはいいと思って促進します。あるいは世界銀行やIMFなどの圧力でそうしたプロジェクトを受け入れます。しかし私は、現在エクアドルは世界中でも最貧国、対外債務の多い国々の一つに入っていることから考えても、このモデルは現在はもう使われないモデルだと思います。

 インタグ村ではそうしたモデルが間違っていると気づいて、1995年から私が代表を務める団体が中心になって、新しいモデルをつくっていこうとする運動が始まりました。われわれの運動の目的は市民のための発展です。一部のエリート、一部の企業のためにプロジェクトをすすめるのではなく、コミュニティ全体の質を高めることをめざしています。環境を守りながら人間の豊かさを追及する…、経済的発展もめざしますが、全体としていい方向に進んでいくことを重視して活動しています。

 私たちの、環境や文化を守っていく新しいモデルによって、次世代により良い将来、より健康的な社会を残せるのではないかと思います。より良い将来とは、10才の子供が環境問題を心配する必要なく、楽しく生活できる社会のことです。

 こういう活動に取り組み始めたのは、コタカチ郡に鉱山開発の圧力がかかってきたからです。鉱山開発の危険性を感じました。それに対抗するには、われわれがコミュニティの中で手をつなぎ、頑張っていくしかない。それでDECOIN(Defensa para la Conservacion Ecologica de Intag)というNGOをつくり、私が代表となって鉱山開発の反対運動を展開しました。コミュニティだけではなく、郡知事や国際NGO、日本のNGOの力も借りて闘った結果、2年半後にはコミュニティ全体が闘いの価値を実感しました。

 DECOINでは草の根民主主義を実践していますが、鉱山開発をストップするだけではなく、経済発展の代替案をコミュニティに提案しなければいけないという意見が出ました。そこで「森を伐らない、鉱山開発はしない、水は汚染しない」というテーマで、自分達で代替計画を考えました。その一つが有機コーヒー栽培プロジェクトです。中村隆市さん(?ウィンドファーム代表)という方のご協力で有機栽培コーヒーを日本に輸出することができました。もちろん、フェアトレードの形でやっています。本日、みなさんに飲んでいただいたのは、私たちがインタグ村で栽培したコーヒーです。

 フェアというのは消費者が安く購入するだけでなく、生産者も適正な価格で販売することを目的としています。消費者全体が新しいモデルをつくっていく中で、フェアトレードという取り組みが大切だと感じています。日本に輸出しているこの有機栽培コーヒーの場合、売上高の5%が直接われわれDECOINのNGO活動に寄付されます。そのお金で環境を守る運動を続けることができるのです。金額的に言うとそれほど大きくはありませんが、大切なお金です。そうしたお金は私たちの活動の他に、別の持続可能な発展プロジェクトにも使うことができます。例えば、鉱山開発が進められようとしていた地区で、そのコミュニティに出資して、エコ・ツアーの促進に協力・支援してきました。

 エコ・ツアーを立ち上げたコミュニティは、鉱山開発が予定されている地区の中にあります。プロジェクトが本格化したら、四つのコミュニティが移転を余儀なくされる恐れがありました。その一つがエコ・ツアーを推進していくことは、鉱山開発への一つの代替活動になっていると思います。この地区では、2,000haの原生林を保護することができました。また、鉱山開発に伴いさまざまな重金属による汚染が心配されていた川も、エコ・ツーリズムに使っています。エコ・ツアーを通じて、コミュニティの人たちが人間的なつながりを感じてきました。この他にも、女性グループがつくっているさまざまな民芸品の支援や、さまざまなコミュニティへの環境教育の指導に取り組んでいます。

 新しいモデルをつくっていく中で私が重要だと思っているのは、去年(2000年)総会で許可された条例だと思います。1997年にDECOINは、これから環境を守りながら発展していくためのいくつかのポイントを「総会」に提案し、承認されました。条例では、例えば工業や産業活動に対するわれわれのサポートは、環境を破壊しない活動に対してであるということが明言されています。

 われわれが望んでいるのは、工業や産業をサポートしながらも環境を保護していくことです。例えば水を汚染しない工業および産業を目指しています。特に重金属はとても危険だと思います。また、環境に優しい取り組みに対して、支援やサポートをすることも大切だと考えています。そして私たちは、環境や文化を大事にする企業にこそ、いつでも来てほしい。持続可能な社会を作っていこうという企業と一緒に新しいモデルを作っていきたいです。条例の巻頭にある目的の一つに、「新しいモデル作
り」が明記されています。それはわれわれ自身だけではなく、さまざまなところからの交流などでつくっていくことだと思います。

 私はコタカチ郡の環境コミテの代表としても活動していますが、アメリカ、南アメリカ、中南米の新しいモデルを作っていくということを、みなさんの協力を得てやっていかれるようお願いしたいのです。日本の持つ最も良いものとエクアドルの持つ良いものとで、共に新しいモデルを作っていきましょう。ありがとうございます。

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ルース=マリーナ・ヴェガお話


会合風景
一番左がルース=マリーナ・ヴェガ

10/17「環境を考える経済人の会21」会合より:
エクアドル発・緑の未来を目指す革新的政治モデル

 おはようございます。こういう場で私たちの活動を紹介できること、これからの未来をお話できる機会をいただき光栄です。私たちはエクアドル、インバブラ州(Imbabura)コタカチ郡からやってきました。エクアドル全体もそうですが、コタカ チ郡にはさまざまな文化、民族があります。先住民、黒人、ミスティーソなどです。エクアドルには先住民族だけで九つの民族がいます。1996年に私たち先住民がやっ 政治家として表舞台に立つことができました。それがアウキ・ティトゥアニャです。

 コタカチ郡は、郡として設立してから120年の歴史を持ちますが、アウキは120年かけて初めて選ばれた先住民出身の知事です。これまで長い間、先住民がいいアイデアを持っていてもそれを使ってくれない、またいい方法を考えていても政治的に邪魔をされるということが続いたため、先住民が政治に参加するしかないということでアウキが政治家になりました。私たちは、環境自治体として、文化やそこに住むさまざまな人たちのアイデンティティを守りながら発展していくことに力を注いでいます。政治家だけに任せるわけにはいかないので、「総会(Asamblea Cantonal)」というシステムをつくって行っています。

 この総会とは、市議会とは別のシステムです。まず各村から選ばれた代表で構成される観光、衛生、環境などのテーマに分かれた16のコミテ(Comite =Committee:委員会)があります。その上に、各コミテからの代表で構成されるコンセイロ(consejo:理事会)があります。そしてこの16人の理事会メンバーが総会を召集し、その総会で決めたことを市議会に提案するシステムになっています。いろいろなコミテでディスカッションした内容を土台に、年1回、総会が開かれます。これは民主主義として住民が直接参加できるようになっています。1回目は250人の参加、6回目には600人以上の参加者がありました。

 多くの国の民主主義では、住民が投票して政治家を選び、4年後にまた投票するまではとくに何もせずに過ごす…、ということがみられがちです。しかし私たちの民主主義では、住民は投票をした後もそのままではなく、常に参加しながら町の発展のためのプロジェクトを進めています。また、このような総会ができたことによって、国際化の名を借りて外国からのモデルを真似していくのではなく、草の根民主主義でやっていくという新しいモデルをつくってきていると思います。

 私たちは人を大切にし、また、限りある資源を大切に使っています。何年か前に、エクアドルで石油が見つかりました。その油田から必要な資源を取っているのですが、それと同時にどんどん貧困の問題が増加してきています。このような関係を私たちは望んでいません。

 コミュニティを大切にすることは、つまり人間を大切にし、また自分たちへの教育を重要視するということです。例を挙げると、数年前から日陰の有機コーヒー栽培プロジェクトを始めました。また、女性グループを組織してカブヤ(サイザル麻)という植物から繊維をとって民芸品をつくったりしています。これらは人間性を高めると同時に環境保護につながるのではないかと思って、そういうプロジェクトをすすめてきました。

 また、日本の方々と共にやっていけるであろうことは、ローカル経済を発展させた、さまざまな物品に関するフェアトレードではないでしょうか。すなわち、有機栽培コーヒーやエコツーリズム、民芸品などをつくって、正当な価格でやりとりをすることです。その際、アイデンティティ、文化、環境保護などの新しい視点が非常に有効なのではないかと思います。フェアトレードによって仲買人をできるだけ省いたら、われわれが望んでいる発展に近づくのではないでしょうか。その透明な関係というのは、今回の会合などの場で私たちが皆さんのことをもっと知ることによって生まれます。両側からフェアということをつくっていくのは大切なことです。

 国際社会で通常使われている貿易ルールは、どこにでも同じように使うことはできないと思います。当事者同士で貿易ルールをつくっていけるということを私は信じていますし、フェアトレードというのは大切なキーワードとなるのではないかと思います。

 また、女性を中心に取り組んできたもう一つの例は地域通貨です。私たちのコミュニティでは最初、物々交換をやってきていました。それが地域通貨へと進化したのです。食糧の安全供給にもつながりますが、そのうちにサービスも交換することになり、現在ではお金を使うことは必要とされていません。私たちはお金の代わりに、「クリ(資源)」と呼ばれる紙幣タイプの地域通貨を使っています。それで物と交換したりサービスを提供したりしています。

 お金のない人もこの地域通貨によって食べていけるので、いい方法だと思います。私たちのように小さい自治体でも、地域通貨なら自分達で発行することができます。また、地域だけでなく国境を越えて、例えば日本ともそうしたやり取りができます。日本に食べ物を輸出して、日本の技術を輸入するということも可能だろうと信じています。日本と物々交換などもできると思います。これらはやる気があればできると思います。コタカチ郡としてはやる気があります。

 今日、グローバリゼーションの是非が話題にされていますが、私はよいところも悪いところもあると思います。例えば、発展途上国と先進国が一緒に貧困の問題に取り組んでいく、フェアトレードなどによってフェアなかたちで共生しながら透明な関係を保っていくことは、グローバリゼーションでなら可能だと思います。また、環境保護の面でも非常にいい方法になると思います。後ほどお話しますが、私たちが取り組んでいる環境保護は日本とのつながりもあると思っています。しかし、グローバリゼーションは使い方によっては悪い方面に進んでしまうと思いますので、注意が必要でしょう。

 また、コタカチではまだまだ汚職が多いので、この汚職を排除する活動もしています。これらのさまざまな活動が認められ、昨年(2000年)10月には、国連人間居住センター「ハビタット」とアラブ首長国連邦のドバイ市より、「2000年ドバイ国際賞」をいただきました。この賞は2年ごとに、環境保護や貧困削減、平等な社会作りなどに貢献している自治体やNGO、メディアなど10団体に贈られるものです。今回、コタカチ郡は、その住民参加型社会システムと透明性のある自治を評価されました。

 つまり、私たちが望んでいる発展というのは、人間性を高める、人間の生活の質、心の豊かさを高めるということなのです。私たちは、経済だけでなく生活の質を高めることを考えて、さまざまな活動をしています。

 今回、日本に数週間滞在して非常に有意義な見学ができました。九州を訪れ水俣病の実態も見てきました。また、屋久島では世界遺産に登録されている環境のすばらしさを見てきました。環境については両面を見てきたわけですが、これはコタカチに持って帰れるいい勉強になりました。

 そして、この二つの情景を見ることができて、コタカチで私たちがやっていることは正しいのだという確信を深めることができました。来年(2002年)9月にコタカチで「環境ウィーク」を開催します。まだ詳細は決まっていませんが、日本から参加を表明している方もいらっしゃいます。みなさんの中からも多くの方に参加していただき、コタカチ郡に親しみを感じ、相手のことを理解しあえる関係になっていければと思います。心を開いて待っていますので、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。

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ベレフについて


ベレフ

■グループ名「ベレフ」の由来と彼らのいる場所背景:

ベレフ:彼らの言葉で“悪い精霊”という意味。グループ名「ベレフ」は、「アディオス・ベレフ」という伝統的マリンバ楽曲

に由来する。「アディオス・ベレフ」は、その地方に伝わる一種の民話。

エスメラルダス州:アフリカ系・エクアドル人の集中する貧しいエクアドルの中でも最も貧しく、抑圧されてきた場所。


■ベレフとカルロス・ルビオのインタビュー(まとめ:フィエスタ事務局・藤岡)

  その頃、若者達はマリンバについて「古臭い文化」というイメージを持っていて、全く関心を示さなかった。カルロスルビオ、アナリディア夫妻は、女性男性共に関れる重要な文化としてのマリンバの意味をもう一度若者達に理解して欲しいと願っていた。

 そこでコレヒオにて、「祖先から伝えられた重要な文化」としてのマリンバを教えるコースを持つことにした。当初、興味を示す人はあまりなかったが、友達から友達へと口伝えで評判が広まっていた。それでも、最初にできたマリンバグループの活動はあまり上手く行かなかった。ルビオが黒人でないことにも起因し、集団としてのまとまりが上手く取れなかったのだ。

 彼らはコレヒオで教えることを断念し、その時の仲間7人と共に新しいグループを結成した。1980年のことである。2人のマリンバひき、2人のクヌーノ、2人のボンベーロ、1人の踊り手、68才、80歳、90歳、グリミオのおばあさん、7から9歳の5組の男女(その中にはカルロスとアナリディアのこども2人も含まれていた)。若い娘達がアナリディアを慕い集まり、その女の子達がまた、若い男の子達を連れて来るというようにメンバーは次第に増えていった(2001年現在は100人をこえる大集団)。これがマリンバ集団「ベレフ」の始まりである。

 アナリディアは1950年、エスメラルダス州都エスメラルダス市で生まれた黒人の女性。初めはコロンビア トゥマ湖(サンロレンソと同じ文化圏)で踊りの先生をしていた。多くの人に慕われ、死の直前まで枕元に相談にくる人がたえなかったという。彼女の教育には常に、環境的側面、社会的側面、文化的側面という3つの要素が一体となっていた。

 現在サンロレンソの町中にあるベレフの小屋ができる前は、4m×4mの小さな部屋で教えていた。楽器は壁際に寄せて、くっつきあいながら踊った。やがて、もっと広いところで教えるため、ミンガ(共同体のための無償労働)によって新しい小屋をつくることにした。老若男女、あらゆる世代が土曜日に集まり、建設に関わった。そんなことをしている彼達をバカにする人々も居た。

 途中で材木が不足し、購入するための資金もなかったので、山奥に入り切り倒しては川に流し(自分も一緒に流れながら運び、)大きな小屋を建てた。屋根だけは町の協力を得て、つくることができた。壁材は竹。竹林の持ち主が「後で払えば良い」と竹を貸してくれた。

 こうしてできた学校では、歌うこと、楽器をひくこと、踊ること、楽器をつくること(まず楽器の作り方を学ばないと演奏させてもらえないのがベレフのスタイル)、それに加えて伝統料理が教えられた。

 運営資金はINFAという国の機関が、最初は援助してくれていた。その援助がとまった後も、現在に至るまで生徒から月謝をとったことはない。

* * *

■ 曲解説(一部):

・Bambuco: 先祖から伝えられた伝統的楽曲。黒人である喜びを歌う。
・Bereju: Berejuとは、アフリカに語源を持つ「悪魔」という意味。人間と悪魔との競争のなかで、死を超えて歌い踊る様を表現する。
・Caderona:女性たちがやわらかい動きでセクシーに相手を誘う伝統的な愛の歌。
・Caramba:海岸の村から生まれた伝統的楽曲。神話上の人物の物語を歌う。
・Agua Larga:カヤパス川沿岸に伝わる川の流れについての曲。
・Andarere:奴隷がヨーロッパの人々演奏からインスピレーションを得て作った。
・Patacore:南部コロンビアから伝染病が入ってきたときお祓いとして唱えた言葉
・Bamcubo de libertad:1981年製作。ベレフ創立者のアナ=リディアとカルロスルビオ夫妻が作った。ヨーロッパ人からの黒人解放を訴える曲。
・Agua Corta Manglares:養殖エビ池ブームに対する抗議から生まれた楽曲。マングローブを守れ、それこそが命であり、全ての源である、と歌う。
・Arrullos para los santos:マラカスと打楽器のみ。聖人を称える曲。お祭りや特別の日に演奏する。

■ベレフ出演イベント一言報告(抜粋):

・10/6オープニング・セレモニー(カフェスロー)
 昼間に実行委員会内部で行ったオープニング・セレモニーでは、ベレフがマリンバなしのパフォーマンスではあったものの、ド迫力のアピールをしてくださいました。クリサンタさんのノリと声量はすごいです!パパ・ロンコンさんの声もハスキーがかっているところがかわいくて(失礼かしらん?)、魅せられてしまいました。(事務局・馬場)

・10/7フィエスタ・エクアドル・イン・藤野(芸術の家)
 アンニャは、平和のメッセージとしてイマjジンを歌いました。マリンバ(木琴)初演奏♪エンカルナシオンの野外パフォーマンスも大好評。学生がボランティアで作ったキヌアスープも売り切れ。フィエスタエクアドル記念CDを買った人は、パパロンコンのサインを求める長蛇の列!!最後は、観客みんなでベレフのダンスに合流。(事務局・馬場)

・10/9サルサダンス教室(カフェスロー)
 今日は、カフェスローではベレフを囲んでのサルサダンスパーティを行いました。ベレフメンバーの持ってきていたCDや、はたまた彼らの演奏で、ダンス、ダンスで、盛り上がりました。たくさんの方々に来ていただき、これまた、フィエスタスタッフ、カフェスロースタッフ共々すてきな時間を皆様と過ごすことができて、心から嬉しく思いました。ありがとうございました。(カフェスロー・渡邉)

・10/15飯能コンサート
 1週間足らずの準備にも関わらず、70人ほどの観客をお迎えし、1時間半の楽しい時間を過ごすことができました。コンサートの最初にはルスさんのお話を聞き、コンサートの中ではぺぺがベレフのメンバーに曲の意味や背景を聞きながら進めたのでみんなが一つ一つの曲の意味を理解したり、その地域の歴史的な背景などを知ることができました。最後にはみんなで踊り大いに盛り上がりました。SANEにとっては普段の活動地域が山岳地域なので、海岸地域の文化や現状に触れることができて大変に有意義でした。ありがとうごいざました。(SANE・杉田さん)


■パパとスキャンさん(ギタリスト)との交流:

 パパ・ロンコンがギターを弾くとは知りませんでした。初めて、リハでその奏法と歌を聞いたとき雷に打たれた思いです。そして、翌9日、楽屋で私がギターをさわっていると、パパが私の所にイスを持って来て、間近に座り、コミュニケーションが始まり、そのうち、Mystie やクリサンタも加わり、パパの曲のセッションに移行していきました。そのときのパパのメッセージをまず伝えます。

 それぞれの異国語でアレンジできるようパシージョを伝えたい。それこそが文化交流である。

 楽屋でのセッション中にパシージョの奏法を私に伝授してくれ、しかも、テスト・パスだったようで、リズム・ギターのご指名をいただきました。(なんという光栄!)リズム・ギターがあるとパパが自由にプレイできます。(私はその目撃者)そして、バック・コーラス。この編成がパシージョのエッセンスを伝えうる最少形態のようです。

 パパ・ロンコンのギターの弾き語りは筆舌に尽くしがたいものがあります。ギターを選ばず、右利き用を逆さに持ち替えての彼特有の奏法は鳥肌ものです。まさに、国宝ならず惑星宝です。彼のパシージョのパフォーマンスは間違いなく日本でも絶賛されるものと断言します。あの歌とギター奏法とソウル、見紛う事なき2つと無い本物です。ブエナ・ビスタより勝っていると確信します。

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