2004年9月、ナマケモノ倶楽部では「スロー大賞」を設け、国内と海外でスローな世界ののために尽力している人を各1人(団体)、勝手に表彰することにしました。 記念すべき第1回(2004年度)のスロー大賞受賞者は、以下の方々です! 海外:フニン村・地域発展評議会 国内:故・松下竜一さん
受賞者には、賞金10万円+10万ナマケ(ナマケはナマケモノ倶楽部が取り組む地域通貨です)、スローな版画家・佐藤國男さん(函館、山猫工房主宰)による額縁に入った賞状が贈られました(賞金にはナマケモノ関連企業からの協賛金が含まれています)。
スローとは、人と人との、そして人と自然との、フェアでエコロジカルで平和的でスピリチュアルなつながり方をあらわすことば。あなた(方)のスローな生き方は、ファストで貪欲で破壊的で暴力的なエネルギーに満ちた現在の世界に替わる、もうひとつの世界への入り口を指し示してくれます。そのことへの感謝と敬意のしるしとして、スロー大賞という名の小さな賞を贈ります。
2004年10月8日 愛、平和、そしていのち ナマケモノ倶楽部(代表:中村隆市、辻信一、アンニャ・ライト)
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人類は、20世紀の後半になってようやく、重大なことに気づきました。それは、今までのように環境破壊を続けていけば、未来世代が生きていけなくなるということです。 自然の重要性は、時が経つにつれ、わかってきています。自然が破壊されることは、地域レベルだけでなく地球レベルにおいても、大きなダメージをもたらします。それは、自然のさまざまなバランス調整機能や浄化機能が破壊されることでもあります。 森林は、地球温暖化の防止に貢献するだけでなく、さまざまな生物の絶滅を防ぎ、きれいな水や大気を生み出し、川や海や大地を豊かにしています。 しかし、世の中には「開発」という名の自然破壊をすすめる人たちがいます。彼らは、「開発」を始める前に、地域住民にこう言います。「皆が豊かになれるし、自然も守られる」と。しかし、これまで世界各地で行われてきた「開発」の結果は、一部の人間だけを金持ちにし、多くの庶民を不幸にしてきました。そして多くの場合、人々がそこで生きていけないほどに環境を破壊し汚染しています。 そんな結果を招いても、開発をすすめた人びとは、何の責任も取りません。そのような個人的な利益や目先の利益だけしか考えないような生き方ではなく、鉱山開発を拒否して、森や川や大地を守りながら、子どもたちや未来世代と共に生きることを選択した皆さんの生き方は、世界の人々に勇気を与え、励ましを与えるものです。
「スロー大賞」の発表と賞状/賞金の授与は、9月11日、第三回コタカチ・オルタナティブ・エキスポの夜の部「ノーチェ・クルトラル」で行われました。壇上にナマケモノエコツアー参加者6人とツアー同行スタッフでナマケモノ倶楽部理事の渡邊由里佳さんが上がり、由里佳さんが賞の説明をしたのを、エクアドル駐在員の和田彩子さんが訳し、フニンの代表としてエドムンド・ルセロに渡しました。 最初に「スロー大賞」受賞のニュースを聞いたとき、エドムンドやフニン村村長のラウロはちょっと何のことだかわからない様子だったのですが、大賞の意味、贈ることは、私たちが常にフニンの人々と鉱山開発のために歩んでいきたいためだということを伝えると、何度もありがとうと言ってくれました。 また、ナマケモノのエコツアー参加者たちがフニン村を訪れたときに、キャビンに大勢のエコツーリズムメンバー(フニン村住民)が集まってくれたのですが、その際にもツーリズム代表としてエドムンド、村代表としてラウロから改めてナマケモノ倶楽部に対して「自分たちには日本の仲間がいるんだと感じられることが励みになる」との言葉がありました。 また、発展評議会の代表としてドン・ヴィクトルも「いつもナマケモノ倶楽部が応援してくれること、こうしてツアーの人たちが来てくれることが励みになる」と言ってくれました。(報告:エクアドル中期ボランティア、ナマケモノ倶楽部・横山理絵)
<故・松下竜一さん、写真提供:ウインドファーム>
11月16日、大分県中津市の松下さん宅を訪ねて、洋子夫人に「スロー大賞」を手渡してきました。また、30年以上、松下さんと環境運動や平和運動を続けてきた梶原得三郎さんにも会って、「スロー大賞」を授与したことと来年からの松下竜一賞について相談してきました。梶原さんは「草の根通信」読者の組織である「草の根の会」の代表を松下さん から引き継いでいます。 まず、洋子夫人も梶原さんもスロー大賞を大変喜んでくれました。そして、洋子夫人は「思いがけなく、このような意義深い賞をいただいて、本人も喜んでいると思います。」と言われました。 梶原さんは、ナマクラには若い人たちが多く、環境運動や平和運動に熱心に取り組んでいると知って、そのことを喜んでいましたが、そのようなナマクラから賞を受けたことをとても喜んでくれました。そして「竜一さんも、きっと喜んでいるでしょうし、私もとてもうれしいです。」といわれました。 そして、来年から国内のスロー大賞を「松下竜一賞」とすることも2人とも喜んで了承していただきました。それと、地域通貨のナマケについて、興味深く聞いていました。 松下ファミリーは、コーヒーが好きなので、100%ナマケで有機栽培コーヒーが買えることを喜んでいました。(報告:ナマケモノ世話人・中村隆市)
<松下竜一さんのスローライフ> 松下さんは幼い時から身体が弱く、病気ばかりしていました。そのためでしょうか、いつも被害を受ける側の立場からものごとを考えるような人でした。環境の破壊や汚染に対しては、被害を最も受ける住民や未来世代の立場から反対していました。 松下さんが発行していた月刊「草の根通信−環境権確立に向けて」は、30年以上も発行され続けました。病気がちだった松下さんは、病院のベッドの上でも通信の編集をしていて、よく医者に叱られていました。九州では、環境運動や平和運動の大黒柱的な存在でした。 近年、松下さんが一番力を入れていたのが、脱原発と反戦運動でした。毎年8月15日の「終戦記念日」に、憲法9条を守るための意見広告を新聞に掲載する運動は、今年で22回目になります。 松下さんは、いのちと同時に、こころも大切にする人でした。はじめて私が読んだ松下さんの本は、電力会社との裁判闘争をユーモアたっぷりに描いた「五分の虫、一寸の魂」という本でした。当時、水俣病や四日市ぜんそくなどの公害病の実態を知り、暗く沈んでいた20才の私は、この本を読んで笑い転げました。そして、松下さんの優しい強さに惹かれました。 数年前まで松下さんは、毎日2時間近く洋子夫人と散歩をしていました。川の河口で、パンの耳をちぎってカモメに与えたり、ゆっくりと季節の草花などを眺めるのが好きでした。 いつもビンボーだった松下さんが書いた「底抜けビンボー暮らし」という本が、数年前に珍しく売れて、十数年ぶりに税金を納めたことがあります。しかしそれは、1万円にも満たない額でした。 そんなビンボー暮らしを見て、人は洋子さんに「どうしてパートに出ないの」と聞くのですが、「お金より二人の散歩の方が大切」と答えます。 30年以上も前に松下さんは、海を埋め立てて巨大コンビナートをつくる計画に反対し、「環境権裁判」を起こしました。弁護士に頼らず、本人訴訟であたり前のことを訴えました。「美しい自然を子どもたちや未来世代に残したい」と。そして「物質的な豊かさだけを追い求めるのはやめて、少しの間立ち止まろう、ちょっとだけつつましい生活をしよう」と自主停電を呼びかけ、「暗闇の思想」を提唱しました。 100万人のキャンドルナイトの「でんきを消して、スローな夜を」という考え方を30年も前から言っていたのが、松下さんでした。(2004/07/07ナマケモノMLより抜粋)