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ちょっと早めのキャンドルナイト@コタカチ・エコロジーセンター2004冬

中央で浴衣を着ているのがワダアヤ、右隣がドリット。

みなさんへ

エクアドルのワダアヤです。今まで、何度かコタカチ・エコロジー・センターのお話をしてきましたが、コタカチ・エコロジー・センターが第三期目を迎えるときがきました。

私の一時帰国をきっかけとする引越しと、私のエクアドルにおけるよき友人であり、よき仕事のパートナーであった、ドリット・ハンセンさんのドイツへの本帰国が重なり、コタカチ・エコロジー・センターの運営が問題となりました。

  ドリットとは、今までずっと一緒に活動してきて、一緒に悩んだり、ケンカしたり、失敗して爆笑したり、1年半やってきて、それなりのペースをつかんできましたが、とうとう彼女の帰国という日がやってきました。「外国人ボランティア」はいつかはいなくなってしまうのが基本です。

2年以上いるのは創設者のアンニャ・ライトさんと私くらいなものですが、ドリットは、半年のつもりでエクアドルに来て、その後さらに1年間、エクアドルにいて、CECの運営に力を尽くしてくれました。彼女と一緒にやりながら、ナマケモノ倶楽部の紹介をしたり(もちろん彼女はナマケモノ国際会員です)、キャンドルナイトをやったり、日本発の国際有機・フェアトレード・コーヒー・デーをやったり、CECに日本からのエコツアー参加者の方々をご案内して、CECの目的などを話したり、エクアドルにいながら、日本と切れることなく、日本で行われているイベントをエクアドルという遠い国でできたのも彼女に出会えたおかげだと思っています。

  その彼女が帰国、そして私自身も少しCECから離れることになり、運営を、今までかかわってきた、ここコタカチのアンデス青年会に託すことになりました。目的や運営内容は基本的に変わりませんが、一番大きなことは、「地元の人」による運営になることです。

いつかいなくなってしまう「外国人ボランティア」におんぶに抱っこではなく、地元の若い人たちが積極的に関わっていく。とても重要ななことだと私は認識しています。これは国際協力で多々問題になることだと思いますが、外国資本なり、外国団体なり、外国ボランティアなりが抜けるとそ
れまで順調だったプロジェクトがすぐにつぶれてしまう。CECは、直接人々の生活や生死に関わるようなものではないので、つぶれても、残念だね、で終わりますが、せっかく私とドリットで活性化させたCECをつぶしてしまうのは忍びない。

失敗するかもしれなくても、誰かに希望を託そうと、「やってみたい」という青年会のメンバーと話し合いを始めました。現在は、青年会の面々が、今までの運営方法を学んだり、いろいろ新しいアイディアを出し合ったり、精力的に活動を始めました。若いだけに責任感とか、使命感とか、コタカチ・エコロジー・センターという場の運営をどれだけきちんとできるかという問題はありますが、彼らの活動に期待しています。

  そして、先週の土曜日にドリットのお別れ会をかねて、青年会への運営移行、そしてちょっと早めのキャンドルナイトを行いました。キャンドルナイトはいつものCEC方式で、主催の私&ドリットから、一言はじめ、キャンドルの火を隣の人に渡しながら、それぞれ自己紹介と心にあることを言ってもらうシェア形式です。ドリットから今までCECでやってきたことが語られ、今までこの小さなコタカチ・エコロジー・センターで本当に多くのものを生んできたんだという実感が沸いてきました。

他のキャンドルナイトに来てくれた人たちも、口々にCECの存在の大きさを、コタカチにとっての大切さを述べてくれました。本当にじわーっと充実感と嬉しさと寂しさがごっちゃになって、号泣というより、涙がほろほろとめどなく静かに流れてきたという感じでした。今までで一番「じわ」感があったキャンドルナイトでした。(ちなみに私はエクアドルに1月末には戻ってくるので、住まないというだけで、彼らにとって口うるさいおばさんで居続けます。)

  これからCECは新しい局面を迎えます。もしエクアドルにボランティアで来てみたいという方がいたら、ぜひCECを訪れてください。待っています。

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