ナマクラ会員の岸本新之助です。
遅くなってしまいましたが、エクアドル インタグ地方のエルミラグロについての報告をしたいとおもいます。 長い上に駄文ではありますが エルミラグロについて皆さんに知ってもらえれば幸いです。
エルミラグロにおけるプロジェクトは今でも進んでいます。しかし、いまは住人であるアンニャライトさんがオーストラリアに一時帰国しているためもありボランティアをとても必要としています。もし興味のある人がいれば是非ともエクアドルに足を運びこのプロジェクトに関わっていったもらいたいと思います。
何をすればいいか? と聞かれれば 何でもいい と答えます。アンニャが残したプロジェクト内容はミラグロの管理人ルイスが行っていますのでそれを手伝ってもらっても構わないし、自分がこうしたい これが出来る というものを実践してもらえればさらに喜ばしい事です。自分がミラグロの自然の中で感じ、やりたいと思うことこそがミラグロの発展につながっていくことになると思うからです。
1:はじめに
今回僕が行ってきた、エクアドル−インタグ地方にある、エルミラグロについて報告したいと思います。エクアドル・アンデス山脈の西側斜面に広がっている雲霧林、コタカチ−インタグ地方。その豊かな山の中で2001年からエコ・ライフスタイルのモデル作りというプロジェクトが、ここエルミラグロで行われています。
生物多様性の豊かさで世界的に有名なコタカチ−インタグ地方は、地球上で最も危険な状況である「ホットスポット」の一つであると言われています。その中にあるフニンという村では、住民の意向を無視した鉱山開発が行われそうになり、山が削られ、森が荒らされ、水が汚されました。今は反対運動が大きくなり開発は抑制されていますが、まだその危機的な状況は続いています。
またこの地方のほとんどの人は未だに土壌浸食のおきやすい山の斜面を焼き払うことによりわずかな作物を育てるという、破壊的な農法に頼っているという状況でもあります。
そんな中で生態系についての理解、そして生態系と調和したライフスタイルを広める活動を様々な人が行っています。
その中の一つとして「統合的エコロジカル・ライフスタイル・モデル計画」がエルミラグロでは行われています。ここでは、パーマカルチャーによる持続可能な農業と簡単に真似できて費用も安
く、生態系に優しい技術を組み合わせたスローライフの実践の場所を目指しています。
ここはこの地域と世界へのモデルの提供であり、先進国にすむ僕たちにとって"究極のスローライフ"を実践、体験することが出来る場所です。持続可能な生活のスタイルを実践を通して学び、考える場所であり、経済価値によらない心地よさの原点を知ることが出来る場所であると思います。
ネイティブインディアンの成人の儀式(ビジョン・クエスト)の一つに"自分の居場所を探す"というものがあると聞いたことがあります。
父親が子供を山へ連れて行き「山の中で自分に心地よい場所をみつけ、そこで一晩過ごして、朝になったら起きてきなさい」と伝える。 この夜子供が見つけ出すのはたぶん単なる場所ではなく"どういう場所を自分は心地よく感じ、安心できるのか"という価値観ゼロの地点だろう。(『自分の仕事をつくる』昭文社より)
エルミラグロとは、僕にとってまさにその"価値観ゼロの地点"なのではないかと思います。それはスローライフの原点と言い換えることが出来るかもしれません。私たちは普段お金や多くの物に囲まれていますが、自分はどういった場所を本当に心地よく感じ、どこを目指して歩いているのかを分かっていないことが多いのではないでしょうか。心地よい物はお金を出さなければ手に入らない、それが「癒し」という言葉に現れているような気がします。
みんな自分の"価値観のゼロ地点"を見失ってしまったために、闇雲に前へと突き進んでいるのかもしれません。地球に負荷をかけず生活の質をあげるためのシンプルな生活技術によって豊かに生きることが出来る。物質にあふれていない、大量のお金を持っていなくても違った方法で豊かに生きられるオルタナティブな文化。その心地よさと楽しさを教えてくれる場所だと思うのです。
この報告書を通して、その心地よさがすこしでも伝われば良いと思います。
2:エルミラグロの由来
ミラグロとはスペイン語で"奇跡"を意味します。
地球上で絶え間なく繰り返される「いのち」の奇跡を思い起こさせるこのネーミング以上にこの土地にふさわしい物はありません。私たちの「いのち」そのものが奇跡です。そして広大な世界の1カケラにすぎないこの土地はまさにいのちの宝庫です(アンニャの日記より)
もちろん、自分が生きていること。それに太陽の暖かさ、風に混じっている香り、火の温もり、木々の豊かさ、月の明かり、蛍の瞬き、光と音の届く距離に驚き、人間の可能性や私たちが住んでいる日本の環境がいかにものすごいエネルギーをかけて出来上がっているか、その奇跡を感じ。それと共に、ただそこに木が生え、川が流れていることのすごさに感動し、世界には奇跡が溢れていることを日々感じさせてくれる。この場所は、まさにエルミラグロなのです。
3:エルミラグロへの道
ミラグロへの行き方は何通りかあるのですが、僕が一番使ったルート「コタカチ→プカラ経由」を記したいと思います。
ナマケモノ倶楽部のエクアドル拠点があるコタカチ、ここの高度は3000M近くあります。それに対してエルミラグロは1800Mほどの所にあります、そのためバスで二時間揺られる間に、雲霧林の雲を突き抜けて下っていくことになります。段々と景色の中に緑が増え、気が付くと濃い雲霧の中に入っていきます。
僕はこの瞬間がとっても好きでした。雲を抜けて、まるで夢のようにモノとエネルギーが溢れている世界から、違う世界へと降りていく。上へ上へとむかう社会が置き去りにした、下の世界へと。雲を抜ける間にそんな気持ちがするからです。
バスを降りる場所は「プカラ」という名の山の上にある小さな村です。ここプカラからまっすぐ下るルートが30〜40分で行ける一番近い道のりです。険しいアップダウンの道で、急な斜面を下り、滑り降りていく事もあります。必死になって汗を流して降りていくと、段々と山の中に自分が近づいて行くのを感じます。
この道からはミラグロ周辺の景色を一望することが出来ます。下の方にトゥアプンチェ川の流れが見えます。段々とその川が大きく見えて来るに連れ、自分が山の中に溶け込んで行くような気がします。
川まで下ったら細い吊り橋を二つ渡り、川で顔を洗い一息。川を見ながら少し歩くと左側に柵、その向こうに青い草が生い茂っている開けた土地があらわれるます。エルミラグロの入り口です。
4:エルミラグロの場所
コタカチ郡インタグ地方の雲霧林の中にあるエルミラグロは山々に囲まれ、南側にはミラグロの境界線ともなるトゥアプンチェ川が流れています。東側にはセサリオという友人のサトウキビ畑があり、その先に歩いて20分程登った所に、カルロス・ソリージャさんの家があります。また近くに350haにおよぶラ・フロリダ雲霧林保護区があり、豊かな自然環境に恵まれています。
西の山の上には管理人のルイスが住んでいるプラサグティエレスという村があります。ここの教会はミラグロから見ることが出来るのですが、歩くと一時間かかります。またトゥアプンチェ川沿いに下って一時間ほど歩いていくとアプエラという小さな町にでます、ここが一番近い市場がある場所です。食料がなくなったらここに買いに来ることが多く、ここからコタカチに行くバスを捕まえることも出来ます。北側の山の上に先ほどのプカラという村があります。
アクセスが簡単という場所ではけしってありません、もちろん電気も来ていないし、電話線もない(今年中に設置予定ですが)、車が通る道はあるはずもなく荷物を運ぶには馬を使うしかありません。しかし、だからこそこにしかない物が溢れています。
5:土地の様子
土地の中には小川が流れています。その小川の上流には小さな小さな滝があり、そこから台所と洗濯場に水を引いています。土地の南側を流れるトゥアプンチェ川と平行して道があります。道と川の間は畑になっていて、これからフルーツを植えていく予定があります、既に立派なコー
ヒーの木やいつもお世話になったレモンの木などが生えていました(昼ご飯にレモンは欠かせないのです)
道の北側には柵があり、ミラグロの入り口があります。そこには牧草地が広がっていて所々に木が生えています。ミラグロの名馬シャンティーがすごし、時々誰かの牛がやって来たりしてのんびり過ごす場所です。休みの時はここでサッカーをしたりして遊びました。
その先に住居地の囲いがあり、中にコーヒー畑や果物や様々な野菜が植えられた畑があり、僕たちの家が建っています。家の回りにはグアドゥアという果物の木や琵琶の木が沢山茂っていて、仕事休みのための気持ちいい木陰とデザートを提供してくれています。
6:建物
家は現在三つあります。キッチンなどがある中心的な母屋、これは円形をしており、屋根はサトウキビの葉っぱ、壁は泥で出来ています。とても大きく、7,8人くらいは寝るスペースはあると思います。もう一つの家は、小川を渡り北側の斜面を少し登った所にある掘っ立て小屋くらいの家です。
ミラグロプロジェクトが始める以前の前所有者(管理人ルイスの兄弟)が使っていた小屋があります。ベッドが三つあり、狭いけれどなかなか味があって気に入っています。そして9月に出来上がった2階建ての家、一階の壁は石とセメント、二階は木材で出来上がっています。ベランダもあり、眺めは最高!!ソーラーパネル付き、年内中(2004年)に電話線パソコンなどを設置しオフィスとしての機能を持たせる予定です。今回ミラグロへ行ったのはこの家作りを手伝うことが目的でもありました。しかし、着いた時にはほとんど出来上がっていたのでした。
コンポストトイレが二つ、二階建ての家の北側に一つ、上にある小屋の横にもう一つあります。両方とも、開放感のあるデザインで、屋根はサトウキビの葉っぱで出来ています。シャワー小屋と洗濯所が二階建ての家の前にあります。シャワーはソーラーシャワーで、黒い袋に水を入れ半日くらい太陽に照らしておくととても気持ちのいいシャワーを浴びることが出来ます。村の人々は水をいつも浴びているので、ソーラーシャワーでも充分幸せになりますよ。洗濯所はセメントで作ったエクアドル式の洗い場で腰を痛めることなく、気持ちよく洗濯することが出来ます。
母屋の前にはグアヤバという果物の木が生えていて、その木々の囲まれるようにして焚き火場にもなるちょっとした空間があります。昼はそこでみんなでご飯を食べて、木陰でのんびり休息をとり、夜には焚き火を囲んで楽しんだりしました。
雲霧林だから木が鬱そうと茂っているのかと思えばそうでもなく、プカラからミラグロへ下る斜面はとても乾燥しています。その一方でその逆の斜面、カルロス・ソリージャの家へと向かう道はとても湿っていて、木々が鬱そうと生い茂っています。 一度焼き畑などで山の斜面を焼いてしまうとあっという間に表面が乾いてしまい、かさかさの斜面になってしまうようです。
7:気候
僕が滞在していた8月9月は乾期で、雨はほとんど降りません。赤道直下と聞くと灼熱の大地なのか?といったイメージを持つ人が多いようですが、高度のためか朝晩は涼しく、フリースかセーターなど温かい服を着ないと寒いくらいです。それでも7時ごろ太陽が山の斜面から顔を出し、9時になるころにはTシャツ一枚でも少し動くだけで汗をかくほどになります。午後にはいると、段々雲が降りてくるのが見え、風が吹き始め、少しずつ温度も下がってきます。4時を過ぎると日が曇り始め、7時ごろには太陽は山の斜面の向こうに行ってしまいます。
10月以降雨期が始まり、温度は全体的に下がります。夜の間に雨が降ることが多くなり、日中通して雨が降り続けることもあります。山に囲まれたミラグロの上に雲が蓋をするような格好になり、太陽が顔をのぞかせるのは朝の内だけになります。そして夜になればミラグロの地上にまで雲が降りてくることもあります。
8:食料
基本的にはまだ町で米、麦、トマト、タマネギの買い出しをして来ます。、ミラグロには ユカイモ、白ニンジン(芋に似ているけど)ニンジン、豆、ビワ、パイナップル、サトウキビ、レモン、オレンジ、コーヒー、パッションフルーツ、アボガドなどなどが生えています。現在家の回りをさらに開墾して、違う種類の野菜やフルーツをパーマカルチャーの方法で植えていく予定です。三年後には豊かは果樹園と畑が出来き、ミラグロの食物自給率が上がっていることと思います。
ガスコンロがあるので料理をすることに対して困ることはありません。少ない食材の中、いかに工夫しておいしい料理をつくるか、というのもまた楽しいモノです。一度だけ、ミラグロについたらコンロがなくなっていて、焚き火で料理をしたことがあります。
エクアドルの基本的な食事は、
- 朝 砂糖たっぷりのコーヒーとパンで軽く。
-昼 レストランなどでは肉と野菜が入ったスープ、と ご飯、肉、サラダ、バナナフライ、豆料理などがのった皿、これにジュースが付いて1ドル〜2ドルくらいで頼めます。昼がメインとなるため家庭でも一番沢山食べます。
-夜 昼の残りだったり、そんなに量は食べません。
管理人のルイスの考えでは、「日中に一番働くのだから、昼はたっぷり食べないと力が続かない」とのことです。確かに、夜食事をした後すぐに寝てしまうし、朝が早く日中に身体を沢山使うのでお昼ご飯は毎日の楽しみともなっていました。
エクアドル料理は、日本人にとってあまり抵抗がないかもしれません。それほど変わった物がないせいかもしれません。味付けは塩分が多くしょっぱいと感じる人が多いかもしれません。テーブルの上には塩とサルサ(レモン、チリソース、香草、トマトなどを混ぜた辛いソース)が乗っていて、料理さらにそれらをかけて食べる人が多いです。
エルミラグロでは、朝は寒いので大麦と黒砂糖を水に入れて煮たものをよく食べました。とてつもなく甘く、また温かいので目が覚えて、午前中に働く為のエネルギーを素早く取ることが出来るからです。
昼は、スープとご飯の横に豆料理やバナナなどをのせたもので、やはり一番量をたくさん食べます。お肉は普通ないので自然とベジタリアン料理が多くなります。とはいうものの、肉が必要ないくらい毎日の料理は充実していました(自分が作った時はどうだったかわかりませんが)そして夜は昼の残りを温めていただきました。
料理はもちろん自分たちの手で作るので、努力と才能次第でいくらでも美味しいご飯は作ることが出来ると思います。そして毎日仲間と一緒に仕事をして同じ釜の飯を食う、というのはこの上ない楽しみであり、素敵なコミュニケーションでもあったように思います。
台所には川から引いた水が出る水道があります。天然水とはいえそのまま飲むのは心配なので、煮沸消毒したものをタンクに貯めて引用水にしています。この土地の水を通して、自分がこの地域の一部になっていくのを感じることができます。
9:管理人
管理人はルイス・イダルゴという、目尻に優しい笑い皺がある、優しく情に熱い男性です。週日は毎日朝8:00〜くらいからミラグロまでやってきて様々な仕事をしてくれます。いまのミラグロの環境は彼の働きかけなしではあり得ないでしょう。
彼の住んでいる場所はプラサグティエレスという町で、ミラグロから西の方角にある山の上にその教会を見ることが出来ます。そこまでは登ったり降りたりで1時間くらいの距離です。奥さんの名前はメルセデス 二人の息子 クレベル フェルナンドの四人で生活しています。
彼らはミラグロの管理をしてくれながら、家では雑貨屋兼町のパン屋もやっています。それと同時に奥さんのメルセデスはカブヤグッズの製作もしています。ナマケモノ倶楽部でもあつかっている水筒ホルダーなどを作っている女性グループに参加しているのです。
10:
家造りの関係者
ここの住人であるアンニャ・ライトとその子供達パチャとヤニ。アンニャは幼い子供を抱えながら毎日ミラグロプロジェクトについて情熱的に考え、様々なものを生み出していました。その愛とエネルギーは底を知らないかのようにみえます。誰よりもこの土地を地球を愛し、彼女の精力的な活動は見るものを驚かせます。ヤニが寝ている間にクローゼットを作り、ベッドを作り。二児を抱えたまま山道を歩いていくのですから。今は子育てを考え、オーストラリアに一時帰国していますが、彼女の存在がミラグロを支えこれからの発展に欠かせない存在です。
今回の家造りではナマケモノ倶楽部ボランティアのキノ・マクドナルドという人が大活躍していました。深い知識と気持ちをもった素敵な人です。彼は旅の中によってくれたそうなのですが、エルミラグロを深く愛し、スローライフの実践を行いながら、家造りにものすごいエネルギーを注ぎこんでいました。一月だけのはずがもう一月と滞在時間を延ばし、家造りの最初から最後までに関わっていました。しかも地元コミュニティにも溶け込み、一緒に働いてくれた人たちとも素晴らしい信頼関係を築いていました。
西川秀司くんという日本人もボランティアとしてミラグロプロジェクトに関わっていました。かれはナマケモノ倶楽部の会員ではなくコーヒー求めて南米へとやってきてミラグロと知り合いました。とてもユーモアがあり、みんなに笑顔とおいしいコーヒーを提供してくれました。そして大量の血をミラグロの蚊に与えてもくれました。
ミラグロで家作るときに一緒に働いてくれた大工のフィデル、マウロ。この二人はプラサグティエレスという町に住んでいます。逞しい身体と目尻に刻まれている笑顔ゆえの皺がとても優しくて、いつも冗談を飛ばしながら家造りに真剣に取り組む姿は圧巻でした。彼らなしでは今の家は建たなかったことでしょう。
もう一人のボランティア セサリオという男性はプカラの東の方に住んでいます。彼の昔の家はミラグロの隣にあり、今でもそこでサトウキビから砂糖をつくる作業をしています。そこで作った砂糖(パネラ)をキノさんが貰ってきて、それで料理をしたり、コーヒーに入れたりしました。この砂糖はミネラルをふんだんに含んでいるため、とってもおいしく、身体にもよいのです。
残念なことに彼は今持っている土地を売りキトにでて暮らしたいと思っているようです。このあたりにはセサリオのような考えを持っている人が沢山いるようです。都市における豊かな生活を求めることを止めることは出来ませんが、都市に住んでいる僕らだからこそ、このインタグのすばらしさ、豊かさをミラグロを通して伝えることが出来ればなと思います。その意味でもミラグロプロジェクトはこれからもっと大きな意味をもっていくことになると思います。
そしてもちろんコタカチでナマケモノ倶楽部の活動をしている和田彩子さん、フニンで活動をしている横山理絵さん、様々な国からのボランティアの人々の力によって今回の家は出来たのでした。
11:家造り
僕がミラグロに着いたときには(8月中旬)には、新しい家を造るプロジェクトはすでに始まっていて、二階部分までほぼ出来上がっている状態でした。働いていたのは、ミラグロの管理人 ルイス・イダルゴ。ナマクラボランティア、キノ・マクドナルドとこの近くで働いているセサリオ、この三人が殆ど一階部分を作り、二階に取りかかってから、ルイスと同じプラサグティエレスにすんでいるマウロと大工のフィデル、そして一ヶ月ほど西本秀二君というボランティアがいました。
一階部分はそこいら中にある大小の石をセメントと一緒にかためた壁で出来ています。二階部分は山から切り出してきた木材やトラックで買い出してきた丸太や竹で出来ています。
驚くべきはその木材を持ってくる過程です。先でも述べましたがここまで車で来ることは出来ません。なので彼らは50キロほどの木材40本を抱えながら山を往復したというのです。決して背は大きくないが鍛え抜かれた肉体はそれを可能にしてしまうのです。ぼくも何度か丸太を運びましたが、(もっと軽いものですが)肩から血が滲み、足にずっしりとこたえました。それで山の斜面をくだり橋を渡ってここまで持ってきたということは、驚愕に値します。人間の力はすごい。
そしてエクアドルの生活にはマチェテという巨大なナタが欠かせません。男達はこれが使えて一人前といえるようです。彼らはこれ一本で山へと入っていきます。マチェテを振り上げ道を切り開いたり、家の木材とするために木を切り倒します。腕を振り上げ、勢いよくマチェテを振り下ろす動作からは力強さ、身体の美しさが溢れています。ここの人々には自然と向き合う人間の身体の力と美しさがはっきりと残っているのです。マチェテからはそれが伝わってくるようでした。
そうした逞しく、生きる力に溢れた男達と家造りの作業は進みました。 僕に出来ることといえば、切った木材を運んだり、木材を加工する手伝いなどでしたが、毎日が勉強と素晴らしい体験に溢れていました。毎日冗談をいいながら、しかし真剣な表情で作業を進める。引き締まった身体を使い木材を切り出し、巧みな技術で加工していく。ここにいずれ来るボランティアの事を考えながら意見を出し合い形を決めていく。うまくいった時は表情は喜びに溢れ、一日の終わりには満足げ家を眺めて作業を終了する。
そんな彼らと時間を共にしながら、「これは仕事かもしれないけれど、子供の遊びのようなものかもしれないな」と思ったのです。子供は遊んでいるときとても真剣です、目の前の物にまっすぐ取り組んでいきます。そして僕たちはいつだってその作業が楽しくてしょうがないのです。つまずくことやうまくいかないことも時々あるけれど、日が暮れるまで生き生きと作業に汗を流す姿は、仕事であり、遊びのように見えたのです。
そんな中、テラスが出来、窓枠がはまり、階段に手すりがつき、ソーラーパネルをつけ等々と作業は進み。僕がミラグロに来てから10日ほどたち家はほぼ完成に至りました。二階建ての緑の屋根のかわいい素敵な家です。入り口を開けると正方形に近いオフィス用の部屋があり左に本棚、右側には二階へと続く細い階段があります。左側にはもう一部屋あって寝室となっています。
二階は手前側が一階の明かり取りのために吹き抜けとなっていて、部屋は8畳位(?)の広さがあります。テラスが二つ、西側と北側にあり、東側と南側には大きな窓が二つづつ付いています。この東側の窓からは朝日が入り込み、朝を清々しく迎えることが出来ます。また二階部分の壁の一部は竹で作ってあるのですが、これがとてもやさしい雰囲気を出してくれていて心地がよい。
屋根の一部は透明なプラスチック材で出来ているため部屋の中はとても明るく、開放的です。みんなの真剣な遊びがそこかしらに溢れていて、いるだけで楽しくなってきます。良い仕事というのはこういうものなのかもしれません。是非とも色々な人に来てもらいたいです。この家はこれからのミラグロの中心として活躍してくれることでしょう。
12:ミラグロの夜
何度もいっていますが、ミラグロには電気がありません。夜になっても電気がつくわけではないのです。活躍するのはロウソク。これが意外に明るい!そして、町があるわけでもなく、電気も無いため夜が暗い!!そのため月の明るさがよく分かります。
満月の夜になると、びっくりするくらい外が明るいのです。淡く白い光が道を照らしていて、懐中電灯などなくても歩ける程です。その反対月の出ていない日は全然見えない。真っ暗闇です。そして星が明るい。今まで岩手や長野できれいな星空を見たことはありました、しかしここはまたちがっていました。
星座から神話が生まれたのは有名な事ですが、僕は今まで星を見上げて、星空に物語を描いたことなどありませんでした。しかしミラグロの空では星座が生き生きと描かれていました。この空からは物語が生まれる、そう確信させるほどの美しい星々が広がっていたのです。
小川の周りには蛍が瞬き、ミラグロの夜を演出しています。なんのエネルギーを使わなくても、世界は美しい物で溢れている。僕たちがこざかしく演出などしなくても、それはあるのです。美しさを失ってしまった僕らは、自分達の手で美を再現しようとするけれど、自然の美と比べてしまうとどうしても色あせて見えてしまいます。人間がすべき事は、代替物を作ることではなく、むしろ美を取り戻すことなのかもしれません。空を汚して、星を地上に輝かせるよりも、空をきれいにして星座の物語に耳を澄ませよう。
ろうそくの明かりは電灯に比べれば不便なところはあるかもしれません。しかし電気が欲しいと思ったことはありませんでした。日中に目一杯やるべき事をやるため夜はローソクの回りに集まり、話したり、本を読んだりして豊かに過ごすことが出来るからです。電気がないことで日中にやるべき事と夜に出来ることがはっきりするせいかもしれません。
確かに電気は便利です、しかしその明かりゆえ僕らは段々と眠る時間が遅くなり、その伸びた一日の時間の中にさらに忙しいプログラムを組んでいきます。ところがろうそくだとある程度あきらめがつき、さっさと次の日のために寝てしまおうと思ってきます。そのことで日中の活動がより内容の濃いものになっていく気がするのです。一日の長さが伸びても、出来ることはそんなに変わらない。夜は豊かに寝るものなのだと感じます。
13: 焚き火
夜になると、人は明るいところに集まります。ミラグロには電気がないので、毎晩ロウソクの明かりを挟んで話しをしたり本を読んだり、趣味にふけったりしました。そんな中僕の楽しみは"焚き火"でした。一緒にいたキノさんは自称「焚き火職人」であり、たしかに焚き火を作るのが巧かった。余った廃材や残り木などで火をおこします。すると自然と人はそこに集まってきます。なんだか心がすこしウキウキしてくるのを感じます。会話も自然と起こり、交流も深まります。
ロウソクにも不思議な雰囲気がありますが、焚き火を囲みながら話しをする、楽しむというのはとてもステキです。 フニンのキャビンの前で焚き火をしてみました。すると、そのキャビンを管理している家族も出てきて今まで距離が掴みがたかったのに、自然と話し、一緒に楽しく過ごすことが出来ました。焚き火の魅力。
14:カブヤグッズ
管理人ルイスの奥さんメルセデスはカブヤ民芸品の女性グループに属しています。このグループは女性の社会的な地位の貢献と生活の向上を目指していて、そこで作られた物はナマケモノ倶楽部でも扱っています。カブヤの水筒ホルダーなどです。
実は僕はこの民芸品に興味を持っていました。そこでその女性グループの会議に参加させてもらったときに誰か教えてくれるように頼んでみたところ、メルセデスが快くその願いを聞きいれてくれたのでした。
彼女たちは家事の合間をぬって、ベルト・何種類かのカバン・水筒ホルダーなどの編み方を教えてくれました。材料は "カブヤ"とはアロエを巨大にしたような植物です。このあたりではどこにでも生えていて、すこし乾燥した斜面などに多く見られました。今思えばそれはカブヤの畑だったのかもしれません。葉には大きなトゲを持ち、中の汁にはすこし毒がありますが、この繊維がものすごく強くこれから糸を作ることが出来ます。それを各家庭で自然染色し、かぎ針や機織
機などを使って様々に編んでいきます。
メルセデス達村の母さん達は(皆結婚が早いため20歳くらいの方からいる)子供の面倒を見ながら、家事をしながら素早く両手を動かしカブヤを編んでいきます。一日中その作業を続けることは出来ないため大量に作ることが出来るわけではありませんが、丁寧に一つ一つ作られていきます。うまくない物は商品にはならないし、彼女たちにもプライドがあるのです。出来上がった作品の一つ一つの編み目には彼女たちの生活が一緒に織り込まれているようで、色といい形といい、とてもかわいくて温かい仕上がりになっています。
またそれらは商品化だけが目的ではなく、自分たちの生活の中でもごくごく普通に使われています。これがただの賃金労働ではなく、生活の中にある温かさのある作業なのだなぁと感じました。この女性団体は女性達が自分たちの手で代表を決め、商品開発をし、意見を出しあってきめていくのです。一度会議になれば朝の十時から夕方の5時までずっと話し合いを続けます。すごく自発的であり、彼女たちは自信に満ちあふれているように見えます。少し前まではあめ玉を買うにも旦那の許可がいるという風習だったようですが、この仕事をとおして彼女たちは自分たちの尊厳を取り戻し、家庭への現金収入を得て、さらに物を作る楽しみを持っています。人生を豊かにしているように思います。
15:終わりに
一杯のコーヒー。なんてことない事ですよね。インスタントにしてみればお湯を注ぐだけですから。ミラグロにはコーヒーの木が植わっています。時期になると真っ赤な実を沢山付けます。そのためここでは自分達で一からコーヒーを作る作業ができるのです。
まず赤い実を摘みます。いい実、若い実、黒くなってしまった実を選り分けつつバケツ一杯に。なかなか時間がかかります。次にこの赤い実をむきます。手作業なので1〜2時間くらいかかるでしょうか。この赤い実なのですがなんと甘いのです!一つ二つ口にほおりこんでなめるのもおいしいのく、山道を歩くときにちょっとしたおやつになり疲れがいやされます。
さてこの皮を剥くとぬめりがあるため今度は水に一晩つけます。翌朝ふやけたところで水洗いをして、今度は3〜5日ほど天日干しにします。風に気を付け、雨に気を使い、ヤニ(アンニャの子供)の襲撃から守りながらゆっくり乾燥させます。そして、今度はたねを包んでいる厚皮を剥きます。機械があればそれなりに楽なのでしょうが、初めてこの作業をやったときはやっぱり手で剥いたのでコーヒー二杯分の皮をむくのに2時間近くかかっていました。しかもその後に薄皮が
あってこれが簡単には剥けない、さらに2時間?やめてくれ〜と思いながら必死に剥きました。
この作業を終えるとついにいわゆる生豆のできあがりです。スペイン語ではこの豆のことを「cafe de Oro(黄金のコーヒー)」といいます。まさしく黄金です。これをコンロで煎って、お湯を注いでやっと一杯のコーヒーの出来上がり!お味はもちろん格別!と思いきや「苦い」と・・・薄皮がきれいに剥け切れていなかったため焦げ焦げの味になってしまったのでした。自分で感動はするものの、うまいコーヒーを手にするのは大変だ。
日常的にコーヒーを飲む僕たちですが、コーヒーにかかる手間はとっても大変です。「僕たちは奴隷の皆様のおかげでおいしいコーヒーが飲めるのだ」と僕の知り合いは言いました。奴隷なんてこの世にはもういないと思いたいです、でも苦しく尊厳を奪われた生活を強いられながらコーヒーの為に必死に働いている人はきっと沢山いるのでしょう。最後の飲むときのコーヒーの部分だけを楽しむのではなく、一から十まで喜びに溢れているそんな物語を持ったコーヒーを手にし
ていきたい。彼の言葉からそんなことを改めて感じさせられました。
コーヒーを一杯淹れる、家を一軒建てる、椅子を一脚作る、植物を育てる。それは一体何なのでしょうか?東京にいたならば全てお金さえ払えば自分でやらずとも全て手に入ります。それはとっても楽で、豊かなことを表しているようにも思えます。しかし、それゆえ僕たちは椅子を作ることも、家を建てることも、一杯のコーヒーを淹れることも出来ません。そしてそこにある喜びをしりません。
もちろんお金は必要だし、自分一人で何でもすることは不可能です。だからといって生活の様々な仕事をどんどん他人や機械に任せて、それと同時にそのなかにある感動や楽しみさえも失ってしまっていることはないでしょうか?楽なことは楽しいことなのでしょうか。生活の様々な活動=仕事のなかにも楽しいことが一杯溢れているように僕は思うのです。
エルミラグロという場所は、何もすることがなかったり、何もしなければ暇を持てあましてしまうだけかもしれません。しかし、自分のプロジェクト次第では何にでも出来る場所に変わり得ます。それゆえここでは一体自分に何が出来るのか、何をしたいのかということと強烈に向き合わされます。そして生活のなかの活動を通して不便だと思ってきた行為の中に魅力が潜んでいることに気が付くのではないでしょうか。
出来る限り一から十まで自分でやってみる、するとその中にある楽しさ、大変さが見えてきます。自分一人では何にもできはしない。だからこそ色々なものごとの中にみんなで共有の素敵な物語を持ちたいと思うようになります。自分の持っている物の中に、自分とは関係ないからどうでもいいと思うのではなく、仕事を任せるからそれを共有する。そういう気持ちです。
一人一人ミラグロという土地で生きるという活動の中にそれぞれ異なった楽しさが見いだせるのではないかと思います。それゆえここはスローライフの原点なのだと思います。
「お金は欲しいわね、お塩を買う分くらいのね」
フニン村のおばあちゃんが友人に語った言葉です。ばあちゃんの目尻には幸せそうな深い笑顔の故の皺が出来ていました。このおばあちゃんの言葉の中にあるものが、ミラグロの中にも横たわっているような気がするのです。
この場所はエルミラグロと呼ばれていますが、世界の至る所に沢山のエルミラグロがあると思います。日本だってアメリカだってどこだって。スローライフとは一体何なのかを感じることが出来る場所はどこにだって在ると思うし、これから増えていくだろうとも思います。だからこそ、そのモデルとしてもここのエルミラグロを育てていきたいと思います。エルミラグロはまだまだ進化の途中です。
そのためにはもっと多くの人の協力が必要です。興味のある人、明確な目標がある人もない人も、ミラグロを魅力的な場所にするため応援してください。そして世界中にあるエルミラグロを応援してください。
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