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ボランティアレポート:フニン村の病気感覚

フニン村より横山理絵です。

私が村に住み始めて早2ヶ月半。
これまでに感じた村人の病気に対する感覚をご報告したいと思います。

村の生活を始めて間もない頃。私は軽い風邪をひき、微熱気味。頭痛と腹痛も。
持っていたカゼ薬を飲み、あとはもう寝るしかないとベットで半日を過ごしていました。

キャビン管理人のオルガは「昼ごはんはどうする?」と聞いてくれます。私は「食べれないからいいよ」と答えますが、「スープだけでも」と言うので、「じゃあ少しだけもらう」と言うと、いつもと変わらぬ量のスープが出てきます。「えっ!?私の少しだけというスペイン語は伝わらなかったのかしら??」と思いつつ、がんばって全部食べ終えました。

しかし午後になり無理をして食べたがために腹痛がひどくなります。ああもうこれは寝るしかない!と眠りにつこうとすると、子供たちが学校から帰ってきました。普段帰るとすぐに私の部屋に来て遊びはじめる彼ら。しかし今日はこの具合の悪い私の姿を見れば静かにしているだろうと、ウトウトし始めたとき。ダッダッダッダッと階段を駆け上がる音と共にドアが開き、いつものように遊びはじめます。

隣の2段ベットから私のベットへとダイブまで始め、私は「これは何事!?なぜこの子たちは遊んでいるの!?」ともうドーニデモナレといった心境。病人の部屋で遊ぶ子供たちをしかったりする親も現れず、結局一睡もできずに夕飯の時間になりました。そしてまた、いつもと同じ量のスープ・・・・・・・。食べれませんって!と今度ばかりは残しました。

そんなことがあって以来、村の人たちの病気に対する感覚というものに興味がありました。
しかし、先日かなり驚かされる出来事があったのです。12月に入り、カトリック教の村では9日間かけてキリストが各家庭をまわり、毎夜ミサを行いました。ミサ4日目の夜。一緒に暮らしているマウリシオ7歳が熱を出しました。体温計なんてものはありませんでしたが、首のあたりを触った感じでは40度近くあるのではないかという高熱。私は「これはもう帰らなくては。早く寝かさないと。」と焦っていたのですが、母親のオルガはかわいそうにと言いながら帰る様子がありません。

そこで私が「先に連れて帰ろうか?」と聞くと、マウリシオはお母さんと一緒に行くと言います。そこでミサの間中マウリシオは息も荒く部屋の隅に横たわっているのです。ミサ終了後、おぶって帰ろうとする私にオルガは「歩けるから大丈夫よ」と言います。しかし、高熱で時々震える7歳児を歩かせるわけにはいかないと、その日はおぶってキャビンまで帰りました。

村にある店で薬を買って飲み、結局マウリシオは4日間熱が上がったり下がったりしていました。
熱が下がるとはだしで遊びにでかける彼。「なんでもう遊んでいるの?」とオルガに問うと、「もう少し良くなっているから」と答えるのですが、その2時間後にはまた高熱でうなされるという状況が続きました。

幸い、今はだいぶ元気になり熱も出なくなりましたが、「熱にはシャワーが良いって言うよね」とシャワーを浴びさせようとした時には、さすがに驚きました。また、うなされて寝ていても、付きっ切りで世話をやくというようなことは一切ありません。高熱でのどが痛くて食べられないと泣くと、そんなことを言ってると死んでしまうと言って怒ります。

この件で思い知らされたのは、医療施設と遠く離れた村では、病気だろうと弱ってなどいられないということです。食べられないなんて言ってたらどんどん弱るだけ。起きられないなんて言ってたら寝付いてしまうだけ。働きに出たり、シャワーでも浴びればカゼなんて吹き飛んでしまうという感覚なのです。

マウリシオが良くなってから、オルガもカゼ気味で頭痛がするといいます。「寝た方がいいよ」と言っても、全く寝ようとせず、ユカという芋を買いに行き、20キロほどのユカを背負って歩きます。
私が代わるよと言おうと、大丈夫だからと言ってズンズン歩きます。

私は自分がとても軟弱な人間なような気持ちになりました。彼らはこうして強く生きていかなくてはならないのです。そのような状況に漬け込み、医療サービスを餌にする鉱山開発側が改めて汚いと実感しました。

でも、村の人たちの病気に対する感覚は、少しづつでも変えていけたらいいなと思いました。
病気の時には療養が必要だということも、知ってほしいなと尊敬の念と思いました。

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